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小林弘人・ウェブ2.0以降の世界はこう変わった

小林弘人(インフォバーン代表取締役CEO)

2014年03月28日 公開 2024年12月16日 更新

《PHP新書『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』より》

 

ウェブ1.0のパワーとは「中抜き力」

 

 梅田望夫氏の 『ウェブ進化論』(ちくま新書)が話題となったのは、2006年。あれから8年がすぎた。この本の発刊のときに有名になった「ウェブ 2.0 」というコンセプトは、それまで一方向だった情報の送信と受信が双方向になり、ユーザー自らが参加できるようなウェブへと変化したことを意味していた。「ウェブ2.0」とは、米IT系出版社の創業者ティム・オライリーによって提唱された言葉だ。

 ウェブ1.0の時代は静的なHTML(ウェブ上の文書を記述するためのマークアップ言語)でサイトがつくられていた。誰かが書いた文章などのコンテンツをウェブ上へアップして、リンクを張り、みんなで同じものをみるという時代だ。

 そうした時代のウェブのパワーとは、ひと言でいえば「中抜き力」だった。ウェブ1.0の「電子チラシ」はそれまでの商流を大きく変えた。目にみえなかったために中間搾取が可能だったもの、業界内の都合だけでユーザーの利益に反したりする慣習や制度が「中抜き」されるべきものとして捉えられた。外部の専門業者に頼まなくとも、熟練さえすれば商流の末端同士が直接やり取りできるようになった。それは画期的なことだった。

 中抜き力が顕在化したのは2000年以降だ。この時期は日本のネット上に一般の人が増えてきた時期とも重なっている。日本のネット人口がクリティカル・マス(ある商品やサービスの普及率が跳ね上がる分岐点)にまで達した時期でもある。

 当時は森喜朗首相による「IT革命」の提唱や、楽天やアマゾンによるインターネットショッピングの成功などが話題になった。P2P、つまりネットを使って1対1で極と極をつなげることが新しいビジネスモデルとして注目された。それまでは仲介業者(インターミディエイター」の存在が不可欠だったが、その部分のマージンや店舗運営などのコストをカットして、消費者が安くモノを手に入れることができるようになったのだ。

 

ウェブ2.0の象徴としてのグーグル

 

 そうしたウェブ1.0とウェブ2.0は一線を画した。その象徴として語られたのがグーグルだ。優れた検索システム、グーグルマップやストリートビュー、膨大なメールをどこからでも無料で扱えるGメール、ユーザーに最適化された広告のアドセンス、自分向けにポータルサイトをカスタマイズできるiグーグルなど、グーグルの先進性は際立っていた。そのほかにも動的にプログラムを書き換え、みているものを変化させるエイジャックスの活用や、ブックマークを共有するソーシャルブックマーク、ユーザー自身がタグで情報を分類できるフォークソノミー、そして極めつけはブログなど、新しいテクノロジーとその概念が百花繚乱した。

 ウェブ2.0の時代になると、掲示板などのように“みる側の人間”が投稿やクリックなどで積極的に関わることによって、コンテンツをつくりあげるCGM(Consumer Generated Media、消費者生成メディア)が隆盛した。また、同じURLアドレスを開いても、みる人の居場所や時間や履歴などによって違うコンテンツが表示され、それまで個人的に収集していたデータもみんなで共有することができるようになった。

 配信動画に対してユーザーがコメントを投稿できる機能を備えた「ニコニコ動画」や、ユーザーのレシピを投稿する「クックパッド」などが具体例だ。もともと「2ちゃんねる」をはじめとする電子掲示板もCGMだが、1つのジャンルに特化するようなかたちで数多くのサービスが花開いていった。アメリカでは「ディグ」という、さまざまなニュースや出来事を「これは面白い」とみんなが投稿していくサイトが人気を集め、その後に続く「キュレーション」(ユーザー自身による情報の編集)という流れをつくりあげた。キュレーションについては後述するが、そうした変化が「発信する側」と「受け取る側」の垣根を取り払っていったのだ。

 ディグのような投稿ニュースサイトには、みんなが「面白い」という、あらゆる出版社・新聞社がウェブ上に掲載するコンテンツが次々に投稿されていく。そこでいちばん読まれたランキングも出てくるので、それらをチェックしていれば、ネット特有の偏りはあるものの、全米でいま関心を集めているニュースなどがだいたいわかる。ユーザー視点に立てば、たしかにこのやり方は便利だし、楽しい。それ以前はニュースや情報は1社がすべてを編集していたが、ユーザー自身がそれを編集することで、新聞社や出版社はウェブにおける情報配信では下位レベルに位置づけられてしまったのだ。

 この状態をよしとしない新聞社や出版社はコンテンツを有料化し、「ペイウォール」という課金の壁でコンテンツを覆おうとした。しかしそうした方法はうまくいかず、結局、いまではソーシャルメディアなどでいかに自社コンテンツを露出させるかということに重きを置かざるをえなくなっている。

 そうした流れのなかで「集合知」というものが認知されていった。もはや語るまでもなく有名になったウィキペディアがそうだ。ユーザーが全員で編集する辞書であり、しばしば編集合戦といって、内容の正否をめぐる対立もみられる。画像を通じてコミュニケーションが行なえるアメリカの「フリッカー」という写真共有サイトは、その後にフェイスブックが同様のサービスを提供するまで1つのデファクトスタンダード(事実上の標準)だった。多くの写真家は業界内で自身の名前を知られながら、その作品が一般に知られることはなかったが、フリッカーを使うことでいきなり海外にファンが生まれたり、画廊を借りて展覧会を行なわなくとも作品が優れていれば世界中から注目が集まった。実際に人気のある写真家にはフリッカー経由で仕事の受発注が行なわれるほどだった。「情報の民主化」が、それまでの業界構造を覆した一例だ。

 そしていま、ウェブ2.0からさらにウェブは進化を続けている。ただ、何がどのように変化したのかがわからないことも多いため、多くの人は軽い眩畢すら感じているのではないか。ツイツターが流行り、企業人や大学生を中心としてフェイスブックも市民権を得はじめた。ラインが若年層に話題となり、次はグーグルグラスだ、自動車や無人飛行機の自動運転だ……。大きな変革の波がもたらす先のみえない不安、過剰な期待が入り交じった状態が現在なのかもしれない。

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