孫正義の発想に学べ!~「大風呂敷」のすすめ
2014年04月09日 公開 2024年12月16日 更新
《『「大風呂敷経営」進化論~松下幸之助から孫正義へ』より》
なぜ今「大風呂敷」か
バブル経済が後退しはじめた1990年代初頭から現在までは、日本経済の「失われた20年」と一般に呼ばれている。
にもかかわらず、ソフトバンク入社から現在までの8年あまりは、私にとっては「成長とはこういうものか」と実感させられた日々だった。
「私が入社してからソフトバンクは急成長したんです」というのは私がよく言う冗談なのだが、ソフトバンクの急成長にちょうど立ち会えたのは事実である。
この8年間は、経済全体が成長期にあったわけではないのは言うまでもない。
それどころか、2008年にはリーマン・ショックもあった。現在7500円前後のソフトバンクの株価は645円まで下がり、JALと並んで「倒産間近」とささやかれる企業の筆頭に名前があがっていたのだ。それを乗り越えて、2006年ボーダーフォンを買収したときに公言した「10年以内にNTTドコモさんを抜きます」という「大風呂敷」を、見事に7年半で現実に変えてしまった経営者が孫正義社長である。
「大風呂敷」とは、多くの人が「実現不可能」と思う高い目標を掲げることを意味する。
しかし、それが「大風呂敷」のままで終わるか、現実的な目標に変えてしまうかは掲げる人間の「実現力」による。
もちろん、誰もが高い「実現力」を持っているわけではない。
では、「実現力」が人並みなら、「大風呂敷」を広げないほうがいいのか。「普通の人」が孫正義社長の真似をしても意味はないのか。「そうではない」と私は思う。
矢を射るとき、遠くの標的を狙うなら高いところを狙ったほうがいい。仕事や人生の目標も同じである。「大風呂敷」な目標を掲げると、思いのほか遠くまで矢が飛ぶことがあるのだ。目標を高く掲げれば、たとえ実現できなくても、それまでの自分の限界より間違いなく先に進むことができる。
「実現力」の高さにかかわらず、「大風呂敷」には意味があるのだ。特に、世界経済が萎縮していた時期を抜け、日本経済にも復活の兆しが見えてきた今、目標を高く掲げて積極的に動けば成功できる確率は高まっている。個人にとっても、会社にとっても「大風呂敷」がますます有効、かつ必要な時代が来たのである。
長期的・多面的・根本的に考えれば「大風呂敷」になる
「孫正義」というと、ずば抜けた能力とともに、きわめて個性的なキャラクターを持った天才起業家、というイメージを持つ人が多いだろう。
実際、リーマン・ショック後、株価が645円まで下がったとき、孫正義社長は「大化の改新か」とつぶやいた。並大抵の神経でいえることではない(ご存じのとおり、大化の改新は645年である)。
では、「大風呂敷」はこうした特別な感性の持ち主にこそふさわしいのかといえば、そうとも限らないのだ。
多くの政治家・経営者のプレーンとして尊敬を集め、今なおその著書が読まれ続けている思想家・安岡正篤の有名な「思考の三原則」にはこうある。
第一は、目先に捉われないで、出来るだけ長い目で見ること、
第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に何事によらず枝葉末節に掟われず、根本的に考える
ということである。(安岡正篤著、安岡正泰監修『安岡正篤一日一言』致知出版社)
つまり、長期的、多面的、根本的に考えるのが思考の原則だということだ。この考え方は誰にとっても納得できるものだろう。
実は、このように考えると、出てくる答えは結果として普通の人には理解できない「大風呂敷」になるものなのだ。
おそらく、「10年以内にNTTドコモを抜く」という孫社長の「大風呂敷」の背景にあったのはこんな考えだ。
まず、長期的に見れば、世界はIT革命の第4段階に入っている。第1次が大型コンピュータ、第2次がパーソナルコンピュータ、第3次がインターネットの登場で、第4次がインターネットマシンとしてのスマートフォンの普及である。このスマートフォン事業に日本でいち早く進出したのがソフトバンクだった。
次に、多面的に見れば、日本市場が人口減で縮小する一方で、移民の受け入れなどにより相変わらず人口が増え続けているアメリカ市場は拡大の一途である。2つの市場を合わせて考えれば、未来は明るい。
そして、根本的に考えると、「ソフトバンクの使命は何か」が問題になる。それは、まだはじまったばかりの情報通信革命を遂行し、世界中の人々を幸せにすることである。情報通信革命で世界を変えるのだ。
このように考えてくると、NTTドコモを超えて日本で圧倒的なトップに立つことは無茶でも何でもない。目標は世界なのだから、1つの通過点にすぎないと言ってもいい。
長期的、多面的、根本的な考え方をすれば、自然に「大風呂敷」を広げることになる。そのいい例としてもう1つ紹介したいのが、関東大震災後に帝都復興院総裁として復興計画を立案・実行した政治家、後藤新平だ。
まだ公道を大八車が走っていた時代に、後藤は幅44メートルの昭和通りをはじめ、靖国通り、明治通りなど東京の幹線道路を整備した。自動車の時代が来るという長期的な予想のもとに、世界長大規模の復興計画を実行した後藤についた渾名は、そのものずばり「大風呂敷」だった。
だが、揶揄をこめて「大風呂敷」と呼ばれても、後藤は意に介さなかった。
自分の計画は科学的調査に基づいており、しかも物事の一側面だけでなく、社会経済全体を広く捉え、長期的な将来を見たうえでのものである。道路は人々の生活や経済の基本。その根本を考えれば、自ずと大きな計画になる。計画は、長期的に総合的につくるからこそ意味がある。そうでなければ毎年の予算だけでいい――これが後藤の考えだった。
まさに、後藤新平は、長期的、多面的、根本的な思考による「大風呂敷」の元祖であり、孫正義社長の大先輩なのである。
もしも、読者のなかに「自分には『大風呂敷』を広げるのは無理だ」と感じる人がいるとしたら、まずは自分の仕事を、長期的、多面的、根本的に考えてみることをおすすめしたい。無理に背伸びをしなくても、とことんまで考え抜けば、自然と発想のスケールは大きくなるのだ。
孫社長はよく、「頭が干しきれるまで考えよ」と部下に言う。このアドバイスは「誰もが『大風呂敷』を広げられるようになるための方法」でもあるのだろう。
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