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生き方

受け身と勝ち方をはじめに知れ

竹内一郎

2011年05月12日 公開 2023年10月04日 更新

《 竹内一郎 著『ここ一番に強い男、持ってる男』より 》

負けて受け身を覚える

 何度負けようと、次のチャンスを得るためには、「転んでも起き上がる精神」を身につけなくてはならない。
 たとえば――。柔道はまず「受け身」を習う。散々、受け身を習わせる理由はただ一つ。人間は常に勝ち続けることができない動物だということを知っているからである。受け身というのは、投げられても怪我をしないための技術である。
 当今は、よほど〈負け〉が嫌いな社会なのだろう。教育の仕組みの中に〈受け身〉的な考え方が入っていない。受験戦争で連戦連勝の人が、偏差値の高い大学に入る。そこから、就職試験の必勝法を身につけた人が、給料の高い大企業に入ったり、官僚になったりする。
〈負けなし〉の人生が、随分よさそうに見える。
 だが、エリート街道を進んでいくうちに、1回〈土〉がついただけで、再起不能という人も多い。東大、霞が関の官僚、国会議員、とここまではいいが、1回ケチがついただけで「人生が終わっているな」という感じの人は何人もいる。大企業でも不正がばれて、そこで失墜する人もいる。
 彼らを見ながら、私は「なぜ、受け身を習っておかないのだろう」と不思議に思う。
 人間は負けることがある。いや、むしろ負ける方が自然な状態なのだ、という認識があれば、まず「受け身」を身につけておくはずである。
 〈負けなし〉の人生には、大きな欠点がある。受け身を学ぶ機会を失しているということだ。
 雑誌には、サラリーマンであれ、事業家であれ、成功した人のインタビュー記事が載っている。それなりに成果を上げている人は、少なくとも1回は大失敗をやらかして、冷や飯を食わされたという経験を持っている。絶体絶命から、這い上がって今がある。
 身の回りを見渡せば、何人かこんな人がいるだろう。上司と衝突し、関連会社に出向させられ、そこで成果を上げ、本社によじ昇り、そこからトップに近い場所に返り咲くタイプ――。この手の人物は、いったん昇り詰めるとガードが堅い。
 転んで〈土〉がついた時に、起き上がり方を知っている人と、知らない人の2種類がいる。
 受け身を覚えるための最良の方法は、「実際に負けてみる」ことである。
 こういうことは、実践で身につけるほかない。テニスを覚えるとき、まず教則本を読んでも、腕はあがらない。最初は、実際にボールをラケットで「体が反応するまで」打つ習慣をつけることが最も大事だ。まず失敗をくり返すのである。
 精神面を鍛えればいいではないかと、禅やヨガ、精神医学の本を読んでみたくなる人もいるだろう。だが、それも即効性はない。たとえば、アガリ症の役者がいるとする。本番に弱いタイプである。禅やヨガを学んで、すぐにアガリ症が治るなら、多くの役者が既に実践しているはずである。だが、即効性があったという話は聞かない。何十年と実践して、演技にもいい影響があったという人はいるが......。
 最も大事なことは、実際に負けて、泥にまみれ、屈辱感を覚えて、その痛みのほどを知ることである。
 その体験の中から、「このくらいまでなら、自分でも耐えられる」「これ以上負けが込むと、立ち上がれない」という勘どころを掴んでおくのだ。
 メンタリティは、人によって生まれつきの強弱があるから、その折々の自分に合わせて作戦を立てるのがよい。
 私にも、元気のある時とない時はある。その時々で〈ベスト〉は異なる。「今なら仕事をドーンと増やしても耐えられる」「少しセーブしよう」などは、自分のセンサーに従う。それは体験の中で、何度となく痛い目に遭って身についてきたものである。
 受け身は負けることでしか身につかない。負けるためには、ちょっと背伸びするのがよい。または、自分の知らない世界に首を突っ込む。そうすると、自然に負けられる。その積み重ねでしか、受け身は自分のものにならない。
 私が大学受験をした時代は、国立大学は「一期校」と「二期校」の2種類に分かれていた。名門校は前者に固まっている。私は、一期校に落ちて、私立にも落ちて、二期校に行った。大学に入った段階で、相当の"負け犬"感があった。もちろん、普通に考えれば"いい学校"ではあるのだが......。
 就職試験にもたくさん負けてみるといい。会社に入って営業に配属されれば、膨大な数の取引先に、軽くあしらわれてみるといい。企画を考える仕事なら、人の2倍も3倍もの企画を出して、連戦連敗になってみればよい。受け身を学ぶ絶好の機会は、身の回りにごまんと転がっている。
 そうやって、受け身を身につけていれば、時々、禅やヨガ、精神医学の本が、支えになってくれることもあるだろう。

自分の居場所を"ちょっと高め"に設定する

 受け身を覚えるために、負けていればそれでいいか、というとそんなことはない。
 将棋の世界に「負けて強くなれ」という言葉がある。強い人と当たって、負けて、「何くそ」と悔しがり、人より勉強することで強くなりなさい、という意味である。
 だが、それは一面の真理に過ぎない。
 普通、勝負師は負けると弱くなる。こんな例はいかがだろう。かつて、江夏豊という名投手がいた。若い頃は速球派で鳴らし、晩年は抑えの切り札として活躍した。
 彼は貫禄がある。マウンドで、新人の打者に対するとき、江夏はじっと見据える。
 〈格の違い〉を見せつける。相手は蛇に睨まれた蛙になる。もう、江夏の投げた球を、リラックスして打つことはできない。ガチガチになってしまう。仮に江夏が失投しても、凡ゴロしか打てなかったりする。
 そんなことを繰り返しているうちに、新人打者は江夏に勝てなくなる。江夏が出てきた段階で、勝負は終わりである。
 こういう理由で、勝負師は負けると弱くなるのである。
 役者も同じ。普段、大きな役についていない人が、たまにチャンスを得ることがある。だが、いざ本番になると相手役に翻弄されて、実力の半分も出せなくなる。演技力はあるのだが"負け慣れ"した感じの役者ができあがる。
 どの会社の営業にも、駄目な人はいるだろう。毎月、売上成績の棒グラフがビリ争いをしている人――。その人をAさんとする。申し訳ないが、Aさんは〈ビリ〉が〈キャラクター化〉してしまう。周囲がみんな、そういう目でAさんを見る。Aさんは、何となくその"居場所"に居ついてしまうのである。これではいけない、とAさんはある時、一念発起する。今月は頑張るぞ、と。そして、売上一位をとる。Aさんに一目置く人もいるが、多くの人は「来月はまた、元に戻るさ」と"期待"してしまうのではあるまいか。無理は続かない、と。Aさんは、その"期待"に応えてしまうのである......。自分のイメージを払拭するには、それができあがった期間と同じくらい長く好成績を続けなくてはならない。不可能とはいわないが、かなり困難な作業だ。
 だから、勝ちの味も知らなくてはならない。
 サッカーには、J1、J2と、大きく二つのリーグがある。選手は自分の技量に合わせて、チームを選ぶ。いくら高望みをしてJ1にいても、いつも控え選手になるくらいなら、J2で活躍した方がいい場合もあるだろう。
 勝ちの味を知るためには、普段は無理に背伸びをしなくても、"勝てる"リーグで戦った方がいい。自分の居場所は高過ぎてもいけない。もちろん、低過ぎてもいけない。"ちょっと高め"に設定することが、能力を向上させるコツである。
"受け身"と"勝ち方"の両方が自然に身につくからである。

竹内一郎(たけうち いちろう)
1956年、福岡県生まれ。1981年、横浜国立大学教育学部心理科卒業。2005年、九州大学博士(比較社会文化)。演出家・劇作家・漫画原作者。
非言語コミュニケーションをわかりやすく説いた『人は見た目が9割』(新潮新書)がミリオンセラーに。『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)、筆名(さいふうめい)で発表した『戯曲・星に願いを』で文化庁・舞台芸術創作奨励賞佳作、『哲也 雀聖と呼ばれた男』で講談社漫画賞を受賞。読売新聞などにコラムを連載中。

書籍紹介

『ここ一番に強い男、持ってる男』

竹内一郎 著
税込価格 1,365円(本体価格1,300円)
誰の人生にも「ここ一番」という時期や場面はかならずある。そこで力を出して勝ちを拾っていけるか、負け続けるかでどうかで人生は決まるといえるでしょう。では、大事なときに力を出せる男、言い換えれば「持ってる男」と「いつも力が出せない男」は、何が違うのでしょうか。
 本書は、その答えを野球や将棋、ビジネスや政治の世界、あるいは戦争の実例に求め、丹念に分析しながら解き明かしていきます。
 ベストセラー『人は見た目が9割』の著者が、見た目よりも大切とした「ここ一番に強い」という資質を高め、ここ一番での'勝ちの拾い方'をぜひお読みください。

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