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灘校・橋本武先生が語る「横道」のすすめ

橋本武(伝説の灘校国語教師)

2015年03月17日 公開 2024年12月16日 更新

《PHP文庫『伝説の灘校国語教師の「学問のすすめ」』より》

 

◆百歳でわかった人生の喜びと学ぶ大切さ◆

 

趣味は人生の「横道」です。
楽しいと感じられるものならなんでも結構。
横道が多ければ多いほど人生は豊かになります。

 学びは、人生になくてはならない要素です。それは学校教育の範囲に限らず、学校以外の場でも、卒業して社会へ出たあとも、私たちは生涯、学びを続けていきます。

 「まなぶ」という言葉は、「まねぶ」に由来し、「まねる(真似る)」と語源を同じくします。魅力的な人を見て、自分もあのようになりたいと思い、その人のまねをすることが「まなぶ」ことだったのです。尊敬できる人を見つけたら、その人のところへ入門し、知識と教養を身につける。昔の塾というのはそういうものでした。

 一方で、「まなぶ」は「誠に習う」から生まれたといわれ。学問をするという色彩が強いのに対して、「まねぶ」は「真に似せる」の意味から生まれたと考えられ、「まなぶ」ほど敷居が高い印象を受けません。学問的な態度でものごとを真摯に追究する「まなぶ」も大事ですが、ときには肩の力を抜いて、「まねぶ」気持ちで心の赴くままに好きなことをすることも必要です。

 私自身は教師ひと筋で、そのために自分の時間とエネルギーをとことん費やしてきました。一方で、私の授業がしばしば「横道」にそれ、横道からさまざまな題材に展開していったように、私の人生も「趣味」という名の横道を広げながら歩んできたといえます。

 実際に入れ込んできたものを挙げると、カメラ、8ミリ、国内旅行、郷土玩具やカエルグッズ集め、おしゃれ、茶の湯、能楽、謡曲、歌舞伎、人形浄瑠璃、短歌や俳句作り、社交ダンス、宝塚歌劇などなど、ずいぶん多岐におよんだものです。

 どれかものになったのかといえば、そういうものはありませんが、趣味は仕事ではありませんから、ものにしなければならないというものでもありません。要は楽しめればいいのです。とにかく、私の人生はこれらの趣味によって広がり、豊かになりました。

 そして、これらの多彩な趣味によって、教師生活の本筋が支えられてきたともいえます。趣味で得たことが、結果的にすべて授業に生かされるからです。

 たとえば、短歌がその一例です。灘校に赴任する前、まだ東京高等師範学校で学んでいるときの話です。寄宿舎が部単位で作られていたので、仕方なしに「短歌会」という部屋に入りました。それほど熱心に活動していたわけではありませんが、講談社の短歌募集に応じて、メダルと賞状をもらったこともあります。

 その後、中勘助先生の作品に傾倒してからは、その歌風がとても好きになり、よく短歌を作るようになりました。決して上手いとはいえないかもしれませんが、これもトレーニングの1つで、作っているうちに味のあるものが生まれるようになりました。短歌は作ってこそ面白い――そのことを体験から理解しました。

 そこで、国語の授業で生徒にも和歌作りに挑戦させたのです。中学2年の夏休みに『啄木歌集』を課題図書とした際、提出するのは感想文ではなく、10首以上の歌を作ってくるように言いました。生徒の作った短歌はどれも思いのほか素晴らしいもので、全員の歌をまとめた学年歌集を作ったほどです。結局、高校卒業までに16冊の歌集を出しました。歌の上手下手は問わず、歌を作る努力を評価するだけです。こうして歌作りは楽しいと感じることができれば、自発的にどんどん作れるようになるものです。

 短歌というものは、頭は使ってもお金は全然使わなくてもできる趣味です。私は、この歳になっても“青蛙〈せいあ〉流”と称して、自分勝手なやり方で暇さえあれば歌を作っています。

 思えば、師範学校時代の寄宿舎の部屋割りから導かれた貴重なご縁です。

 

見ているだけでは楽しくない。
下手でもいいからやってみる。
すると、今まで見えなかった世界が開け新しい何かが生まれます。

 もともと鑑賞を趣味としていたものが、見ているだけでは飽き足らず、自分でも勉強を始めたり、実践したりすることが、私にはときどきあります。

 灘校の近くには能楽堂があったので、生徒を連れて能を見に行く機会を設けていました。初めはよくわからなかったのですが、回を重ねると次第に面白くなってきます。こうなると生徒同伴の能楽鑑賞だけではもの足りないので、佐成謙太郎先生の『謡曲大観』を手がかりに、自分で能楽を勉強したり、観能記を書いたりするようになりました。

 そのうち、謡本を見ながら観能していると肝心の鑑賞の楽しさが半減するので、覚えてしまおうということになり、自分でも謡〈うたい〉の稽古を始めたのです。謡の成果はともかく、発声練習には効果的で、教室で大きな声を出すのに役立ちました。

 生徒たちにも謡本を学ばせ、研究発表をさせたところ、これが素晴らしい出来栄えとなりました。こうしてさらに発展して「能楽研究同好会」まで作ってしまったのです。

 同好会の生徒たちは、月1回鑑賞能に行っていました。このときの学年が昭和43年の卒業組で、東大合格者数がトップになった最初の学年でした。

 

 

 

著者紹介

橋本 武(はしもと・たけし)

元灘校国語教師

1912(明治45)年、京都府生まれ。1934年、東京高等師範学校を卒業。旧制灘中学校の国語教師となる。中勘助著『銀の匙』を中学3年間かけて読み込むという授業を実践。21歳から71歳まで、50年間にわたり教壇に立ち続けた。2013年、101歳にて逝去。教え子たちには作家の故・遠藤周作氏はじめ、神奈川県知事の黒岩祐治氏など、各界の第一線で活躍している人が多数いる。
著書に『橋本武のいろはかるた読本』(日栄社)『<銀の匙>の国語授業』(岩波ジュニア新書)『灘校・伝説の国語授業』(宝島社)などがある。

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