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由来を知って四季を味わう『にほんご歳時記』

山口謠司(大東文化大学文学部教授)

2015年07月17日 公開 2023年02月09日 更新

 

<001> 

 「春とは、草木の芽はる時なれば、ハルという。古語でハラクというのは、萌え出ることをいう」と、新井白石(1657〜1725)の『東雅』に記される。

 「芽はる」という言葉も「ハラク」という言葉も、今はもう使われないが、「新芽が出てきましたね」とか「春らしくなってきましたね」という言葉の古語である。

 さて、この「ハル」という和語に、『万葉集』では「発」や「張」という漢字を当ててある。新しい「出発」や「張り切るような力」などの意味があって、和語の「ハル」にこのような漢字が当てられたのである。

 『枕草子』は次のように始まっている。

  春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。

 春は、まだ明け切っていない曙あけぼのに紫色の雲が細くたなびいているのがもっともいいというのであるが、このやさしい言葉の中にも、これから新しい一日が始まるという「出発」の時間、朝の気が大きく「張り切って」、お日様を迎える力のようなものが感じられる。

 我が国の文化は、「四季」の移り変わりに対する情をとても大切なものとして発展してきた。

 10世紀初頭、我が国で初めて編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』が、はじめに「春夏秋冬」の歌を配置していることは、そのことをよく表しているといえるだろう。

 はたして、平安時代の人々は、それぞれの季節の美しさやその美しさの陰かげりに、自らの心の変化を託して、和歌を詠んでいるのである。なかでも、春は、萌え出る草木、香り立ち、目に美しい梅や桜などの季節として、心浮き立つ恋や、哀しく散ってしまう恋、どうしようもない別れなどが多く歌われる。

 現代の「春」は、なんとなく慌ただしい。みんなが、力強く「芽張る」からだろうか。引っ越しや転勤などがあって、新しい「出発」があるからだろうか。

 それでも春はやっぱりいい。新しいことを始めてみたくなる季節である。

 

<013> マグロは冬にしか食べられなかった

 世界中の海から、毎日、我が国にはマグロが運ばれる。お鮨すしのネタは一年中、マグロなしには語れない。ところが、江戸時代、マグロは冬にしか食べられなかった。それで、今でもマグロは冬の季語なのである。

 ところで、大正9(1920)年に書かれた、志賀直哉の「小僧の神様」という小説がある。主人公は「小僧」だが、マグロといえば、この話を思い出す。

 主人公の仙吉は、まだ13、4歳。神田の秤はかり屋や の小僧である。

 番頭さんふたりが、うまい鮨屋の話をするのを聞いて、自分もその鮨屋に行ってうまい鮪を食べてみたいと思う。

 2、3日の後、仙吉は、同業の店に使いに出される。帰りの電車賃を使わず、歩いて帰ることで得た4銭が懐にある。これを握りしめて鮨屋に入ると、仙吉は、台の上に並んでいる鮪を摑む。ところが、鮪は6銭と言われ、仙吉は苦い思いをして店を飛び出していく。

 仙吉の鮨屋での一部始終を見ていた貴族院議員のAは、小僧を可哀想に思って、鮨を食わせてやりたいと思う。

 たまたま、幼稚園に入った自分の子どもの体重を量るためにと秤を買いに入った店で、Aは小僧を見つける。

 Aは、小僧に秤を運ばせて、車屋まで連れていくと、用のなくなった仙吉にご馳走をすると言って、鮨屋に連れていく。その鮨屋はまさに番頭ふたりが話していた鮨屋なのだ。

 小僧は、腹一杯、3人前の鮨を食べるが、秤を買った男はどこにもいない。

 どうしてあの人は、自分が鮨を食べたがっていたこと、そして番頭さんたちが話していたこの鮨屋を知っていたのか……と疑い、ついにあの人は「神様」だったのだと思い至る。

 彼(小僧)は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を思った。それは想うだけである慰めになった。彼は何時かは又「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。

 鮪の稚魚は、その形から「柿の種」とも呼ばれるという。また、缶詰になると「ツナ」と呼ばれる。成長の度合によって「しび」「めじ」などとも呼ばれるし、種類も「きはだ」や「かじき」などもある。

 マグロの養殖も可能になった。いよいよマグロは無季語となるに違いない。

 

<著者紹介>

山口謠司(やまぐち・ようじ)

大東文化大学准教授

1963年、長崎県生まれ。フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。英国・ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て、現職。博士(中国学)。
『妻はパリジェンヌ』(文藝春秋)、『書いて楽しむ論語』(小学館)、『日本語の奇跡〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』『ん日本語最後の謎に挑む』(以上、新潮新書)、『てんてん日本語究極の謎に迫る』(角川選書)、『大人の漢字教室』(PHPエディターズ・グループ)『ディストピアとユートピア』(dZERO)など、著書多数。

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