国際教養大学トップが語る日本の教育革命
2016年07月06日 公開 2023年02月01日 更新
受験の段階で専攻を決める必要はない
日本の大学生は、高校までの受験勉強で疲弊したあとに大学に入ってきます。日本では大学の入学試験が専攻分野別になっているので、高校の受験勉強のみで大学への進路決定が短絡的になされてしまうのが大半です。
しかし高校生が、経済学や経営学がどのような勉学なのかわかっているでしょうか。おそらく、大学に入ってから「えっ、経済学部ってこういうところなの!?」と初めて知る学生がほとんどでしょう。
私は、高校生はそれが自然だと思っています。自分が何を勉強したいのか、自分には何が合っているのか、受験の段階ではわからなくて当然です。大学に入ってさまざまな講義を受けるうちに、本当に興味のある分野がわかってくるのです。
しかし日本の大学では、入った学部が自分に合わないとわかっても、転部するのはそれほど簡単ではありません。他の学部に移るのは面倒なので、そのまま4年間通い、機械的に単位を取り卒業後は無難に就職する。たとえば、工学部に入ってまったく面白くないけれども、仕方なく通って卒業後はメーカーに入る。自分の生き方を若い時期のどこかの時点で真剣に考えなければならないのに、何の疑問も持たずに受験→大学生活→就職→職業生活→退職という人生のレールを歩いている人が大半でしょう。これでは人生をスポイルしていることにならないでしょうか。
私は、受験の段階で専攻を決める必要はないと考えています。それこそ、人生の幅を狭めているようなものです。
米国のリベラルアーツ系大学では、入学の時点では学生の専攻は決まっていません。1、2年次に一般教育を履修しながら、自分の専攻分野(Major)を決めていきます。この段階は自分の適性、進路、職業、人生と専攻分野をいかに関連づけるかを模索する時期で、大学生活にとって重要な体験の時期でもあります。
私はICUの学長だったとき、6つの学科を廃止しました。
ICUはもともと教養学部一つだけでしたが、そのなかで6つの学科に分かれていたので、その壁を取り払ったのです。そして、すべての学生に対して、主専攻だけでも32の専攻(Major)を残しました。自然科学や人文科学、社会科学などの授業を受講してみて、そのうえで自分は何に対して興味を持つのかを見つけてほしいという想いで、そのような対策を取ったのです。
入学の段階では、何の志望もなく、まっさらの状態で入ってきていいのです。実際に、自分は理数系が得意だと思っていたけれども、教養科目を勉強するうちに人文系が面白くなったという学生も、またその逆も、いました。
国際教養大学も、入学時には志望する専攻を決めません。入学して2、3年後にそれぞれの興味や求める専門知識に合わせて、グローバル・ビジネス課程、グローバル・スタディズ課程を選ぶようになっています。
高校生で将来の進路を真剣に考えている学生も、もちろんいるでしょう。しかし、日本の受験システムはそうなっていません。ですから大学では、新入生を決まったコースの船に乗せるのではなく、激流に放り込んで、自らの力で岸に泳ぎ着くという経験が必要なのです。
どの岸に泳ぎ着くのかは自分で決めることで、「生活が安定しているから公務員」といった世の中の風潮で決めるのはもったいない話です。
一度だけの人生だからこそ、自分のやりたいことをやったほうがいい。進路とは自ら探して決めるものであり、それについて真剣に悩むために大学はあるのだと思います。
鈴木典比古(国際教養大学理事長・学長)
1945年、栃木県生まれ。68年、一橋大学経済学部卒。同大学大学院経済学修士。インディアナ大学経営大学院経営学博士(DBA)。ワシントン州立大学助教授、准教授、イリノイ大学助教授などを経て、国際基督教大学準教授、教授、学務副学長を歴任。2004年、同大学学長に。13年、国際教養大学理事長・学長に就任。国際基督教大学時代から一貫して「リベラルアーツ教育」を推進している。著書に『国際経営政治学』(文眞堂)、『グローバリゼーションの中の企業』(八千代出版)、共著に『弱肉強食の大学論』(朝日新書)、『グローバル教育財移動理論』(文眞堂)などがある。