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私は脱原発の急先鋒ではない

田坂広志(内閣官房参与,シンクタンク・ソフィアバンク代表)

2011年08月22日 公開 2024年12月16日 更新

"官邸内のリスクマネジメントは妥当だったか

 ――今回の震災・原発事故対応やその後のエネルギー政策の混迷をめぐっては、会議や参与が多すぎて役割が不明瞭であるとの批判が数多くなされました。まず、田坂さんはなぜ参与として参画することになったのですか。

 田坂 私の過去の著作のなかであまり明らかにしていないことですが、私が東京大学の原子力工学科で博士号を取得したときのテーマは「核燃料サイクルの環境安全研究」でした。この研究のためにアメリカの国立研究所にも行き、米国政府のユッカマウンテン・プロジェクトという放射性廃棄物処分プロジェクトにも参画したのです。ですから、今回の福島原発の事故が起こった瞬間から、自分が長年にわたり研究してきた知見が頭のなかを駆け巡りました。

 たまたま菅総理とは、私がダボス会議のグローバル・アジェンダ・カウンシルのメンバーを務めていることもあり、今年初めに、三菱商事の小島順彦会長と、経済同友会の長谷川閑史代表幹事と共に、「菅総理、ダボス会議に日本の総理として行かれるべきです」と提言しに行ったときからご縁がありました。それで、事故直後から総理に事故対策についての提言をいくつか届けていたのですが、3月25日に官邸に招かれ細野豪志首相補佐官(当時)と会い、27日に菅総理とお会いして専門的な意見を述べたところ、その夜に参与への就任を打診されたのです。一瞬の迷いはありましたが、これだけの大事故を前にして一人の国民としてお役に立てるならお受けするべきと判断しました。

 ――同じ参与の小佐古敏荘さんが辞任されました。官邸内の意思疎通はどうなっているのだという批判も多々あった。官邸のなかからどのようにご覧になっていましたか。

 田坂 その批判は、ある意味で当たっていると思います。会議が多かった結果、意思疎通に齟齬を来したことも事実です。ただ、とにかく未曾有の事故で、そもそも何をやればいいかから検討せねばならなかった。次々と問題が出てくる。守秘義務の問題もあり、オープンな場と政府関係者だけの場などを分けざるをえないこともありました。

 そのなかで、参与は内閣に対するアドバイザー機能ですから、請われれば個別の会議に参加して、専門的な見地から意見を述べる。ですから参与が十数人いるといっても、それぞれに専門分野も違えば、官邸との関わり方も異なるわけです。依頼されたテーマについて検討してレポートを出すことを主とする参与もいれば、私のように朝から晩までいろいろな会議に出席する参与もいる。

 ――政権中枢部では、今回の事故対応ではほんとうに最悪のことを想定して対策を打てていたのですか。リスクマネジメントのあり方として、どうでしたか。

 田坂 まず一般論でいえば、日本という国は、今回の震災だけでなく、リスクマネジメントについてそうとうに未熟だと思います。これは今後、今回の事故を検証するとき、しっかりと反省し、改善する必要があるでしょう。ただ、この政権が当初から「最悪の事態」に備えようとしていたことは確かです。しかし、「最悪の事態に備える」ことと「最悪の事態を公言する」ことは別なのですね。

 ――そこでいう最悪とは、どのレベルの最悪ですか?

 田坂 ここでは申しあげられないほどの最悪を考えました。さまざまなシミュレーションもしました。それが現実に起こっていないのが幸いなことです。最悪の事態を想定していろいろな手は打ってきましたし、「あえて、ここまでやる」という慎重な考えで対策を進めてきました。

「原発に依存しない社会」はすでに目の前の現実だ

 ――もともと原子力を専門とされていて、いまや脱原発の中心にいるといわれているわけですが、脱原発のイメージをいつごろからおもちだったのですか。

 田坂 たしかに、メディアの記事では、まるで私が脱原発の急先鋒のように描かれていますが、そこには大きな誤解があります。じつは私自身は、原子力というエネルギー源は、まだ最終的な結論は出ていないと思っているのです。しかし、いずれ、最後の審判は、国民が下すことになるのでしょう。

 ただ、福島での事故が起こったあとに原子力エネルギーをどう捉えるかについては、私はまず国民の素朴な気持ちを大切にするべきだと思っています。いまから申しあげる二つは、日本人のほとんどがもつ平均的な感覚でしょう。第一は、「原発は怖い。できることなら使わないでいい社会にしたい」ということ。第二は、「ただし、原発をやめることで経済や産業が打撃を受け、雇用が失われ、生活に甚だしい支障が起こるのも困る」ということです。政府は、この国民の気持ちを大切にするべきであり、それを政策として掲げるべきだというのが私の考えです。

 それが、「計画的、段階的に原発に依存しない社会をめざす」というビジョンです。

 まず、この「原発に依存しない社会」という言葉ですが、これは、じつは、すでに「目の前の現実」なのですね。福島事故以降、もし原発の新増設が認められなければ、原発寿命四十年として、2050年ごろには、原発は自然になくなっていきます。すなわち、早晩、いわば「原発に依存できない社会」がやってくるのですね。

 では、日本で福島事故ののち、新増設はできるのか。

 ここで理解しておくべきは、あの広大なアメリカにおいて、スリーマイル島のレベルの事故でさえ、そのあと、30年は新増設ができなかったという事実です。実際、いま多くの人は「もう原発の新増設はできない」と考えている。その結果、野党も、みな「脱原発」に向かっています。みんなの党はすでにそう主張しているし、自民党でさえ、いま「脱原発」の方向が強くなっている。したがって、「原発に依存しない社会をめざす」というのは、突然に菅総理が特殊なビジョンを語ったのではなく、いま野党も含めた多くの議員の平均的な方向感覚でもあり、国民の平均的な期待感ではないでしょうか。

 ――しかし、ならばなぜ、ここまで「脱原発」の解釈をめぐって、大きな混乱が起きているのでしょう。

 田坂 いま申しあげたのは原発に関する長期的なビジョンですが、これが、玄海原発の再稼働問題などの短期的な政策と混同して議論されているからです。すなわち、「原発に依存しない社会をめざす」というと、「原発全部を一挙に止めてしまう」という非常に過激なメッセージとして聞こえてしまっているのだと思います。

 しかし、その社会に一挙に行くわけではありません。あくまでも、産業と経済に影響を与えないように配慮し、生活にも重大な支障のないように工夫をしながら、計画的、段階的に原発への依存度のレベルを下げていく。短期的には省エネルギーと化石エネルギーで、長期的には自然エネルギーで代替しながら、どこまで行けるかめざそう、というのが、このビジョンです。問題は「脱原発か原発推進か」ではなく、「脱原発依存」への速度の違いなのですね。

 ――各地の原発の同じ敷地内で建て替えを進めるべきだという意見もありますが。

 田坂 もちろん、それが認められれば少し違ってきますが、いま、それができると考えている人は、少数でしょう。

「閣内の意思疎通」の内実

 ――では、既存の原発の再稼働問題については?

 田坂 これは、いま、大切な視点が見失われています。経産省も財界も、電力需給が逼迫するので、再稼働を急ぐべしという考えです。「このままでは企業が海外に逃げていく」「産業界が深刻な打撃を受ける」という声が挙がっています。こうした懸念を抱いて焦る経産省や財界の方々の気持ちは理解できるのですが、ここはやはり「拙速」を避け、「急がば回れ」で進まれるべきです。なぜなら、拙速に進んだ場合、原発再稼働は、むしろ決定的なダメージを受けるからです。そのことは、電力事業者が焦って行なった「やらせメール問題」に象徴されています。こうした国民からの信頼を損ない、不信感を増大させる行為こそが、ますます再稼働の逆風になっていくからです。

 しばしば、原子力については、「安全」と「安心」ということが語られますが、本当に重要なのは、「信頼」なのです。なぜなら、政府や事業者が、どれほど「安全です」といい、「安心してください」といっても、その政府や事業者への「信頼」がなければ、安全と安心は、まったく意味を失うからです。

 福島原発事故によって、原子力行政と事業者に対する信頼は、残念ながら大きく損なわれました。国民の気持ちのなかには、「安全基準や審査は、これまでほんとうに国民の安全第一でやってくれていたのか。経済合理性優先で、どこか基準や審査が甘くなっていたのではないか」という疑問が生まれています。そのことを理解するならば、いま、この国民からの信頼を回復することこそが、すべての出発点であると腹を定めるべきです。

 ――では、具体的にはどうすべきだと?

 田坂 玄海原発を例に挙げると、たしかに現行法律上は、原子力安全・保安院が安全だと確認すれば再稼働はできます。しかし事故以来、国民のなかに生まれている疑問に答えなければならない。つまり、保安院は規制する側であるにもかかわらず、推進側である経済産業省のなかにある。これは昔から指摘されてきた問題です。世界の原子力規制の考え方、たとえばアメリカのNRC(原子力規制委員会)の独立性と比べても、あまりにも差がある。それでも問題にならなかったのは、日本には「原子力は絶対安全だ」という神話があったからですが、もはやそれは崩れてしまった。

 経産省の立場もわかります。国民の電源需給に責任をもち、使命感に燃えた優秀な官僚が原子力政策を担っています。そこを批判しているわけではないのです。ただ、その責任感がゆえに、事故以前の法律とルールに則って、再稼働を拙速に進めてしまうと、かえって将来、大きな問題を引き起こしてしまう。実際、世の中では、「再稼働のための保安院の安全確認は、しっかり行なっているのか」との疑問の声が挙がっている。

 したがって、国民の信頼と納得のうえで、原発を再稼働したいのならば、遠回りにみえても、ストレステストという世界中で認められている方法を導入し、その結果をわかりやすく公開する。そして、すでに細野大臣が発表しているように、来年春には保安院を経産省から独立させ、新しい規制組織をつくる。こうした手順を大切にして、国民からの信頼を回復し、納得を得なければならない。従来の原子力行政をそのまま推し進めるのは、やはり無理があります。

 ――しかし、すでに再稼働のプロセスが進んでいたので、かえって菅総理が海江田経産大臣のはしごを外すようなかたちになり、逆にエネルギー政策に対する信頼を毀損してしまった部分もあるように思われます。

 田坂 そうですね。たしかにそれは残念な点ですね。もっと早くストレステストの話が総理と海江田大臣で合意されていれば、この混乱は避けられたでしょう。しかし、先を見据えれば、やはり、経産省にとっても、拙速のまま進むよりは、よかったのではないかと思います。

 実際、総理と大臣のあいだでどのようなコミュニケーションがあったかは、参与の立場からは見えない「政務の世界」です。それは、当事者同士でなければわからない。もしかすると、菅総理は「正式の報告は受けてない」という認識だったのかもしれませんが、最終的には、閣議で「指示が遅れたことに責任を感じている」とお詫びされたのですから、その言葉を受け止めるだけですね。

 ――関連してお聞きすると、G8ドービルサミットで、菅総理が太陽光パネルを1,000万戸に設置すると宣言し、あとから海江田大臣が「聞いていなかった」と発言されました。田坂さんは菅総理のスピーチ・ライティングをされているとも報じられていますが、このあたりの事実関係はどういうことなのでしょう。

 田坂 菅総理のスピーチをすべて私が書いているかのような話が出回っているようですが、それはまったく事実ではありません。たしかに、ときおり、総理のスピーチ原稿にアドバイスをするときはありますが、菅総理はスピーチについても基本的にはいろいろな人たちの意見を聞いて、最後は自分でかなり書かれるスタイルです。私の役割は、あくまでも政策的なアドバイザーですので、コンセプトづくりなどでお手伝いすることはありますが、スピーチライターとして総理のスピーチを書いているわけではありません。

 ドービルでの演説についても、基本的な政策論のところでは、私も経産省や外務省の方々とずいぶん議論しました。最後には、一緒になって、原稿案を検討しましたね。

 ――しかし、経産省と議論したとすると、海江田大臣が内容を知らなかったというのも、おかしな話ですね。

 田坂 その事情も参与の立場では、よくわかりません。あえて推察するならば、あの場面では、海江田大臣はああいわれるしかなかったのではないでしょうか。現地では経産省の幹部の方々も含めて議論をしますが、そのとき海江田大臣はその場にはいらっしゃらなかったわけですし、1,000万戸という目標は、やはり総理のリーダーシップでその方向に決めたわけですから、そこの説明は総理がやってくださいという意味でしょう。このあたりは、国民からみると、たしかにわかりにくいと思います。

指導者としての菅総理をどうみるか

 ――近くでご覧になって、率直に菅総理は、指導者としてどうなのでしょうか。

 田坂 もとより、理想的な指導者像と比較すれば、誰といえども、不十分な点はあります。しかし、内閣官房参与という立場は、現在の内閣を統轄する総理を補佐するのが役割。その総理の強みを生かし、弱い所を補うべく努めなければならないと思っています。そして、その職務を通じて、複雑な政治の状況のなかでも、現実を1ミリでも良き方向に変えていけるかが問われているのでしょう。そして、私自身は、もっとも重要な仕事は、国民の声や思いを官邸に届けることと考えています。

 ただ、あえて申しあげるならば、菅総理は、総理になる前から、誰よりも「官僚主導の打破」と「政治主導の実現」を訴えてきた。その総理が、政府のあり方を思うように変革できているかといえば、けっしてそうではない。官僚組織は、組織としての「慣性力」がきわめて強い。

 官僚の一人ひとりと話をすると、誰もが優秀で、職務に対して忠実であり、使命感もある。そして、善意もあり、人間的にも好感のもてる人が多い。ところが、それが官僚組織という「システム」になると、硬直的で、非効率的で、国民にとっては、「温かみのない組織」になってしまう。なぜか、一人ひとりの願いや思いを超えて、悪い方向に向かってしまう。現在の政治や行政の姿をみていると、「地獄への道は、善意で敷き詰められている」という言葉の怖さを、つくづく実感します。

 ジョージ・オーウェルも、未来社会においてわれわれが戦うべき相手は「システム」だというメッセージを残していますが、このシステムを変えていく戦いは、じつは、政権交代を実現し、政党が代わっただけで簡単に進むものではないのですね。いわんや、「総理さえ代えれば何かが変わる」というほど簡単な話ではない。

 では、このシステムを変えるために、何を変えるべきか。

 私は、まず変えるべきは、われわれ国民一人ひとりの意識だと思うのですね。そのためには、長く続いた劇場型政治や観客型民主主義を克服しなければならない。「誰か面白い変革ドラマをみせてくれるリーダーはいないかと考え、人気のある政治家がいると、期待し、投票し、リーダーにする。しかし、まもなく、そのリーダーに飽き、幻滅し、また、次のリーダーを探す」。そうしたヒーロー願望と幻滅が繰り返されるだけです。その原因は、われわれのなかに巣食っている「自分以外の誰かがこの国を変えてくれる」という依存の病であり、この病をこそ克服しなければならないのですね。

 そして、この病を克服したとき切り拓かれるのが、一人ひとりの国民が社会の変革に参加する「参加型民主主義」の時代なのだと思います。そして、じつは、いま、この新たな時代を切り拓く好機が到来しています。なぜなら、今回の大震災後、多くの日本人が「被災地のため、この国の復興のため、いま自分に何ができるのか」を真摯に考えているからです。

 こんな時代は、かつてなかった。いまこそ、こうした国民のエネルギーを、素晴らしい国づくりへと向けていくことができるならば、政治が変わると思うのです。

 そして、この参加型民主主義を実現していくために、自然エネルギーというのは、格好のテーマなのです。なぜなら、原発をつくるかつくらないかは、いくら国民が議論しても最後は国と電力会社に任せるだけの話になってしまう。しかし、自然エネルギーは、議論ののち、国民が自らの手で取り組むことができる。その気になれば、すぐに太陽光パネルを導入することもできるし、節電に取り組むこともできる。

 まさにそれは「参加型エネルギー」であり、われわれ一人ひとりが日々の生活を通じて新しい社会づくりに参加できるのです。その意味でも、今後、自然エネルギーは力強く推進していくべきでしょう。これは観客型民主主義から脱却するための、一つの有力な方法だと思うのです。

ネット直接民主主義で政府のあり方を変える

 ――それが6月12日に、Webの動画中継を通じて全国に発信した「自然エネルギーに関する『総理・有識者オープン懇談会』」にも通じる思いでもあるわけですね。

 田坂 そうです。五人の有識者と総理の懇談会をネット中継し、延べ15万人を超える方々が視聴し、ツイッターなどで15,000件を超えるコメントや質問が寄せられました。私自身、内閣官房参与として取り組みたかったのが、この「開かれた官邸」のスタイルでした。つまり国民と政府中枢を直接結ぶ、双方向性のある開かれた場づくりでした。その場で、有識者を交えて賛成派も反対派も意見のやりとりをする。そうしたなかで、国民的な議論が巻き起こり、国民の行動が生まれ、政治への参加意識が自然に育っていく。こうした場がなければ、国民はどこまでも「お上と下々」という古い感覚に縛られたままになってしまう。インターネット革命が1995年に始まり、もう16年たっている。私はもともとインターネットの論者ですから、こうした日が来るのを待っていたのです。

 ――ネットを活用した直接民主主義の動きは興味深いものですが、反面、菅総理が総理であるからこそ、それがある種の市民運動的なイメージでみえてしまっているところがないですか? たとえば6月15日の「再生エネルギー促進法成立! 緊急集会」では、「オープン懇談会」にも参加した孫正義氏や小林武史氏が顔を揃え、そこで菅総理が得意のアジテーション演説を行なったので、とても、昔ながらの市民集会と二重写しになってしまいます。

 田坂 「オープン懇談会」と「緊急集会」は、たまたま出席者が重なっていますが、それぞれまったく別の主催者であり、私自身、緊急集会の企画には関わっていません。

「オープン懇談会」はインターネット革命の時代の新しい民主主義のあり方、参加型民主主義をめざすものであり、かつての市民運動とはまったく違うものです。それは、むしろ、政府と国民の新たな対話のスタイルといってもよい。したがって、この新たな方式は、総理が代わっても、政権が代わっても、続けていっていただきたいですね。

 おそらく、こうした参加型民主主義の新たなスタイルが広がっていくことによって、市民運動のスタイルも進化していくのでしょう。そして、政府のリーダーのスタイルも変わり、政府のあり方も変わっていく。

 3月11日は、すべての国民にとって忘れがたい痛苦な経験でした。しかし、だからこそ、われわれは、この時代を、何としても、日本新生の転機にしていかなければならない。そして、そのためにも、いま、政府自身が、大きく変わっていか

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