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「お金を貸さない銀行」なんて要らない

渡邉哲也(経済評論家)

2017年03月28日 公開 2024年12月16日 更新

日本の銀行は、いまの3分の1でいい

すでに都市銀行は、バブル崩壊、日本版ビッグバンなどを経て大きく淘汰され、グローバル化の荒波にも揉まれてきたが、これから大淘汰の時代を迎えるのが、これまで大きな改革が行われてこなかった地方銀行をはじめとする地域金融機関である。

なかでも地方銀行は、規模の利益やグローバル化を推し進めた都市銀行と、文字どおりの「地べた」の営業を続けてきた信用金庫などとの間に立たされており、言い方は悪いが中途半端な存在に陥っている。

だが地方銀行が都市銀行のようになろうとしても、まず無理である。都市銀行は都市銀行、地方銀行は地方銀行としての生きる道を模索するべきで、その方向性はすでに見えていると言っていい。

都市銀行はグローバルサービスを展開するなかで、いかにフラットでわかりやすいサービス提供を全国に進めていくかに特化する。その一方で、地方銀行は顧客にいかに密着して信頼され、顧客が必要とするものをどう提供していくかをとことんまで突き詰める。

逆に言えば、この二つの道のいずれも極めることができない中途半端な銀行が、これから淘汰されるのだ。

旧大蔵省は「銀行は一行たりとも潰させない」という護送船団方式のもとで業界を守り抜いてきたと言われていて、多くの人がそう思っている。

だが、作家・山崎豊子氏の小説『華麗なる一族』は銀行合併をテーマにした作品であり、同作品が週刊誌に発表されて間もなく、神戸銀行と太陽銀行が合併したというエピソードもある。

ということは、バブル崩壊の頃には業界を守ろうとした旧大蔵省も、必要に応じて銀行の合併を認めていたわけで、そのスタンスは、時代とともに変わっていたのだ。

国家や政府、あるいは政治家や官僚が本来、何事においても考えなければならないのは、国家を発展させるためにどうするべきかということであって、ある企業や業界をいかに守るかということではない。

企業や業界を守ることが結果的に国の発展につながるのであればいいのだが、ある企業や業界を温存した結果、国家や国民が不幸になるのでは本末転倒だ。

事業性評価に基づかず担保・保証に必要以上に依存する融資が蔓延した結果、中小企業などに成長資金が流れない、経営者が担保に加えて個人保証まで入れなければならないということが常態化し、その結果、国民や企業、国家が不幸になってしまっているのである。

これは許されないことだ。

あえて批判を覚悟のうえで言えば、すでに日本の銀行の半分以上は必要とされない存在になっている。日本の銀行の数はいまの3分の1ぐらいがちょうどいいのだ。

 

銀行とは何であるのか

これまで銀行は、預金者にとっては決済のための道具であり、利息がもらえる便利で安全な貯金箱として、逆に、借りる側にとっては低利の金貸しとしての役割を負ってきたわけである。

しかし、現在の銀行を見ると、この役割を十分に果たしているとは言えない、というのが実情ではないだろうか。

決済の手段としては、クレジットカードやコンビニ決済が中心になり、いまの低金利化では銀行に預金しても金利がほとんどつかない。逆に引き落としなどの手数料負けしているのが実情である。

そして、借りる側にとっても、カードローンなどの金利は消費者金融(サラ金)とほとんど変わらず、住宅ローンですら、フラット35に負けている有様である。

そのうえ、銀行の職員を食わせるために、手数料の高い、つまり、客が損をする可能性が高い信託商品を売りつけ、保証協会を利用し行政と客にリスクを押しつけ、その仲介手数料を稼いでいるにすぎないのが多くの銀行の悲しい現状であると言える。

これでは社会のためにならず、逆にその存在自体が罪悪である。金貸しはカネを貸すことが仕事であり、預金者(金主)にその利益を分配するのが義務なのである。

たしかに、バブル崩壊以降、日本の経営者は慎重になり、個人も消費に消極的になっている。

また、景気が上がらないために低金利が続いており、これが銀行の利益を圧縮してしまっている側面もある。だからといって、それに甘んじることは許されないのである。

卵を産まなくなった鶏が不要であるように、金を貸さない、金を貸せない金貸しなど無用の長物なのである。

また、マイナス金利への批判がその典型であるが、国が税金を使い銀行を養っているほうが不健全であり、これを一部カットされたからといって文句を言うのは、間違った甘え以外の何ものでもない。

銀行は国家と国民のための道具でしかなく。銀行のために国家があるわけでも、銀行員のために国家があるわけでもないのだ。儲けが少ないならば、徹底した賃金カットとリストラを行い、地を這いつくばってでも必死に顧客にお金を借りてもらう努力をするべきなのである。また、日頃から顧客との間で信頼関係を築き、選んでもらえる努力もすべきである。

その努力をしなくても許されてきたのが間違いだったのである。

金は天下の回りもの、世の中にきちんと金を回すのが銀行の仕事である。それができない銀行は淘汰されるのみである。

 

※本記事は渡邉哲也著『あと5年で銀行は半分以下になる』(PHP研究所刊)より一部を抜粋編集したものです。

著者紹介

渡邉哲也(わたなべ・てつや)

経済評論家

1969年生まれ。日本大学法学部経営法学科卒業。貿易会社に勤務した後、独立。複数の企業の運営などに携わる。国内外の経済・政治情勢のリサーチおよび分析に定評がある。主な著書に『世界と日本経済大予測』シリーズ(PHP研究所)などがある。

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