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「ロスジェネ世代」の仕事観…3・11の衝撃

齋藤麻紀子(フリーライター)

2011年10月11日 公開 2022年12月26日 更新

 

つねにアウトプットする"生産者"に私はなりたい

「とにかく、何事も中途半端な人間でした」

そう語るのは、仙台でNPO法人アスイクを運営する大橋雄介さん(31歳)だ。現役で東京の某有名大学に入るも、「面白くない」と3カ月で退学。再度勉強して筑波大学に入学したが、「人生の目標がみえない」と一転、脚本家をめざす。

Wスクールで勉強を続けるも、やはり挫折。結局、新卒でネット上の求人広告を扱う代理店に入社した。求人広告のメインコピーをつくるのが、大橋さんの仕事である。

大学卒業後、正社員としての職を得た大橋さんは、川田さん同様、恵まれているといえる。しかも社内での評価も、すこぶる高かったという。大橋さんの書くコピーは、クリック数やページビューを引き上げ、何度も社内表彰された。でも……。

「数字ではなく、求職者の顔がみたいんです」

自分にとって仕事の目標は、数字や名誉でないことに気づいた。結局、この仕事もあっさりと辞めた。

そして、転職を経てたどり着いたのは、「地域に貢献できる事業をしたい」という思い。東京のコンサル会社で3年間修業したのち、起業のため、一度だけ働いたことのあった仙台に向かう。2010年3月15日、震災の1年前のことだ。

大橋さんの仕事人生において、重要なキーワードを挙げるとすれば、「生産」だろう。世の中のためになる価値を、自分の力で生産し続けること。そして、誰かに消費してもらうこと。

この循環によって、自分の存在意義を実感する。大橋さんにとって仕事は、"人のため"でもあるが、“自分のため”でもある。

しかし仙台に向かった大橋さんは、いまひとつ"人のため"になれなかった。

「大学からお金をもらい、大学生の就活支援をするというビジネスモデルを考えていました。就職率が上がれば、大学にも地域にもメリットがある。でも大学には、就活生を支援するお金の余裕がなかったんです」

プレゼンからの帰り道、バスに揺られながら「仙台にきたのは、まずかったのでは」と、何度も思った。バス代すら惜しくなった。結局、週の半分は地元のNPOに通い、社会的企業の本質を勉強させてもらった。

でも、自らのアウトプット先は見つからないまま、運命の3・11を迎えることになる。

「ああ、ここで死ぬんだ」

仙台市内の古い建物にいた大橋さんは、阪神・淡路大震災のニュースで観た、潰れたビルの映像を何度も思い出した。しかし揺れが収まったあと、急に色濃くなったものがある。"生産者"としての使命感だ。

「幸運にも生き残ったんだ。何か、しなければ!」

震災当日から毎日、被害状況を確認し続けた。自らの強みとニーズを照らし合わせた結果、見出した道は、学校に通えなくなった子供の学習支援。イメージは、江戸時代の寺子屋である。

「いまの日本において、教育は官の役割だと思われています。でも日本の識字率を上げたのは、民間が自発的に始めた寺子屋でした。私は、行政を待つのではなく、つねにアウトプットする"生産者"になりたい。アウトプット先がなくて時間を持てあましているほうが、辛いんです」

社会学者メアリー・C・ブリントン氏は著書『失われた場を探して』(エヌティティ出版)のなかで、日本社会の特徴をこう語った。

「日本の社会では、学校や職場、家庭生活などの安定した『場』に属することが人々のアイデンティティーや経済的な成功、心理的な充足感の源としてきわめて重要な意味を持ってきた」

そのうえで、日本のロスジェネ世代の特徴を、「ロスト・イン・トランザクション(移行の途中で行き先を失った)」と評した。しかしロスジェネ世代に光を当てた『朝日新聞』は、その特徴をこう表現する。

「時代の波頭に立ち、新しい生き方を求めて、さまよえる世代」

あてもなく彷徨う危なっかしさと同時に、暗中模索ながらも前に進む強さを持ち併せているのが、ロスジェネ世代の特徴だ。仙台市内で震度6の恐怖を味わいながらも、すぐに生産者としての活動領域を見出した大橋さんに、義理のお母さんはこんなメールを送ったという。

「雄介君が仙台に行ったのは、このためだったんだね」

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自分の時間を差し出せば被災者が一歩を踏み出せる

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