以上申しあげましたように、和を貴ぶ、衆知を集める、主座を保つというこの3つが、日本の伝統精神の中心をなすものだと考えられるのでございますが、実を申しますと、こうした日本の伝統精神に対する日本人自身の理解認識というものが高まってきたのは、比較的最近のことなのであります。
と申しますのは、第二次世界大戦後の日本においては、占領政策もあって日本の歴史伝統が十分に教えられず、したがってそうしたものが国民の間からしだいにうすれてきたのでございます。その結果、日本人が日本人としての自覚を失い、いわゆる日本人としての自己認識を欠いたような姿となって、そこから社会全体として非常な精神的混迷に陥ったのであります。それが戦後30年たった1970年代には頂点に達し、そうした精神的混迷が政治、経済、教育など社会の各面に及び、いたるところに大きな混乱をもたらす結果となったのでございます。
そうしたところから国民の間に一大反省が起こり、やはり日本人としての正しい自己認識を持たなくてはならない、日本人が日本の歴史伝統を知らなくてはならないと考えられるようになってきたのであります。その結果、そういうことが学校教育をはじめとして、いろいろな機会を通じて教えられるようになったわけでございます。
したがいまして、今日では多くの日本人がいま申しましたような日本の歴史なり伝統の精神をある程度まで理解認識するようになってきておるのでございます。つまり日本人としての自己認識がなされるようになってきたということであります。それによって、今日では日本人の多くは日本の歴史伝統に誇りを持ち、この国日本に対して深い愛情をいだいていると申しあげていいのではないかと思うのであります。
そして、同時にそのことは他国の歴史、伝統に対する理解、尊重にも結びついているのであります。日本に独自の歴史、伝統、国民性があるごとく、それぞれの国が特有の歴史、伝統、国民性を持っておられるのでございます。そういうそれぞれの国民性というものを各国がお互いに尊重し合うところに、真の国際親善ひいては世界平和も生まれてくるのではないかと思うのであります。
話がいささかそれましたが、いずれにいたしましても、このような日本人としての正しい自己認識というものが、今日の日本を生んだ第二の大きな原因と考えられるのであります。そして、あえて申しますならば、こうした国民としての自己認識の大切さということは、ひとり日本人のみならず、世界のすべての国についていえることではないかと思うのであります。
国民共通の国家目標の大切さ
さて、今日の日本の発展をもたらした第三の大きなものは何かと申しますと、それは日本人が明確な未来像というか目標を持って、国家運営、国民活動を進めてきたことがあげられるのではないかと思います。日本の現状はいわゆるなりゆきと申しますか、自然にこうなってきたというものではございません。1970年代の後半に、国土創成という21、22の両世紀にわたる長期のビジョンを立てるとともに、20年後の日本はこうあるべきだ、50年後はこういう姿にしていこうといった1つの理想を描き、それを国民共通の目標としつつ、国民それぞれが各面の活動を自由に自主的に展開して今日までやってきたのであります。そしてその結果、ほぼその目ざしたような姿に近い状態で推移してきたと申していいのではないかと思います。
それはあたかも、われわれ個々人が自分の人生において、その時どきの目標をさだめ、それに向かって努力するようなものでございます。あるいは企業などが何カ年計画というものをたて、全員の力でそれを達成していく姿にも似たものがあろうかと思うのであります。個人の人生においても、会社の経営においても、そうした明確な目標を持つことによって、そこに力強い歩みが生まれてくることは、みなさんもいろいろな機会に見聞しておられることでございましょう。
国家としてもそれと同じことだと思うのであります。いや、むしろ、きわめて多数の国民を擁している国家においてこそ、そのことはより大切であると考えられるのではないでしょうか。一国が好ましい姿で安定した発展を続けていくためには、明確な国家目標、国家のあるべき未来像を持つことはある意味では必要不可欠と考えられるのではないかと思うのであります。
しかしながら実を申しますと、第二次大戦後から30年あまり、つまり1970年代の半ばころまでの日本には、必ずしもそういうものが明確ではなかったのでございます。根底にはそうした目標はあっても、それが新しい民主主義というカゲに幻惑されてと申しますか、そういうカゲにおおわれて、いささかうすくなっていたのであります。いわば時の勢いで、そうならざるを得なかった面があったのでありましょう。
ですから、終戦直後の荒廃の中で、この国日本を一日も早く復興再建していこうということを、多くの日本人が言わず語らずのうちに期せずして考えたということはあったでありましょう。しかしながら"日本を何年後にはこうした好ましい姿にしていこう"といった方針が表立ってはっきりと打ち出されたことはただの一度もなかったといわれております。歴代の政府も、それなりに国家国民の繁栄、発展を考え、大いに努力もしたのでありますが、ややもすればその時どきの問題を処理することにとらわれ、長期的なビジョンを描くことがうすかったのであります。そしてその結果、各界各層の国民活動もそれぞれにバラバラに行なわれ、全体としていささか力弱いものに終わってしまい、それが先にも申しましたような各面のゆきづまりを生むことになったのであります。
そういうところから一大反省が起こり、これからはいままでのようなことではいけない、やはり遠い日本の将来を考えつつ、20年後、50年後といった近い将来のあるべき姿を描いて、それに向かって国民が心を合わせてやっていこうという気運が高まってまいりました。そしてさきほど申しあげましたような過程をへて今日の日本を生み出したわけでございます。
以上ごく簡単に申しのべてまいりましたが、そのように、新しい人間観、日本人としての自己認識、明確な国家目標、この3つが今日の日本を生んだ基本的に大切な原因であり、同時に私どもが今後の日本を考えていく上でも欠かせない要因でもあろうかと思うのであります。
いまの日本は、幸いにいたしまして3、40年前とくらべて比較的順調な歩みを社会の各面にわたっていたしており、そういうことから、世界の人びとに過分とも申すべき高い評価をいただいております。こうしたことは私ども日本人といたしましても、一面喜ばしいことではございますが、同時に私どもは最初にも申しあげました通り、今日の日本の姿を決してこれでよいとは考えておらないのであります。人間観のところでも申しあげましたが、この人間の共同生活はすべてかぎりなく生成発展していくということが基本の原則だと思うのであります。したがって私ども日本人は決して今日の姿に安んずることなく、きのうよりはきょう、きょうよりはあすというように、よりよき日本、よりよき世界をめざして努力してまいりたいと考えております。もし今日の姿に甘んじて、そういう努力を怠るならばこうした今日の姿さえ保持できないことになってしまうであろうと思うのであります。
みなさんは、世界各国の尊い国家経営のお仕事なり、あるいは尊い報道、出版のお仕事に日夜たずさわっておられ、そういうお立場から、日本の姿というものをあるがままにご覧になって、そこにいろいろとお感じになっておられるものがあろうかと思うのでございます。
そのようなお立場から、今後とも日本のよき友人としてお気づきの点は何なりとご教示いただきますようお願い申しあげます。そして、いま申しましたようなかぎりなき生成発展というものを、世界人類全体にわたって実現していくためのいわば同志として、ともどもに力を尽くしてまいりたいと思うのであります。そういうことをお願いいたしまして、私の話をこれで終わらせていただくしだいでございます。
本日はご清聴まことにありがとうございました」
そう語り終えて、近藤首相は深々と頭をさげて出席者にあいさつした。熱心に話に耳をかたむけていた世界各国の要人たち、在日外国人記者、報道マンの人びとは、はじめてわれにかえって盛んな拍手を送った。
この近藤首相の講演は録画によってその晩のテレビで日本全国に放送され、多くの日本人が首相の話に聞き入った。人びとは改めて21世紀の日本に生まれ合わせたことの幸せを感じた。そして、それとともに近藤首相の言葉にあったように、今日のこの姿に安住することなく、よりよき日本、よりよき世界をつくりあげていく責務が一人ひとりの日本人に課せられているということを痛感したのであった。