1. PHPオンライン
  2. 社会
  3. 松下幸之助が思い描いた「総理大臣のあるべき姿」

社会

松下幸之助が思い描いた「総理大臣のあるべき姿」

PHP研究所経営理念研究本部

2011年10月11日 公開 2022年09月29日 更新

その第一は和を貴ぶということでございます。いいかえれば、平和を愛好し、調和を大切にするということであります。日本は今日憲法においても強く世界平和を念願しており、また実際面においても、国際連合その他いろいろの場を通じて、世界の国ぐにとともに、恒久平和実現のために微力をつくすようつとめております。しかし、これは単に最近になって日本がそのような態度をとり出したということではないのであります。たしかに

第二次世界大戦というような過ちをおかし、当時の世界の人びとに大きなご迷惑をおかけいたした時期もございました。われわれ日本人はそのことについては率直に反省し、ああした悲惨な戦争を二度とくり返すことのないよう国民的決意をいたしておるのでありますが、それとともに、あの戦争一事をもって、日本人を好戦的民族というように見るようなことはしていただきたくない、もっと長い日本人の歩みというものを見て、日本を判断していただきたいということも一面にお願い申しあげたいのでございます。

日本の2000年の歴史をご覧願えますならば、いま申しあげました第二次世界大戦など2、3の例外と申しますか、過ちを除けば、日本人が世界のどの国民にも劣らぬほど、一貫して平和を愛し、調和を尊んできたことがご理解いただけるのではないかと思うのであります。

1つの事例を日本の歴史の中からご紹介させていただきますと、いまから1400年近く昔の7世紀において、時の摂政であった聖徳太子によって"十七箇条の憲法"というものがつくられたことがございます。これは憲法としては世界最古のものと申してよいのではないかと思われますが、その第一条には"和を以て貴しとなす"、つまり平和、調和というものを大切にしなくてはならないということがかかげられているのであります。 そうした精神こそが日本民族の伝統の精神のあらわれでもあると考えられるのであります。

私ども日本人は今後ともそうした和を貴ぶ伝統の精神を生かして、世界人類全体の平和にいささかなりとも貢献してまいりたいと念願いたしておるものでございます。

さて、日本の伝統精神の第二は衆知を集めるということでございます。日本の伝統の文化というものは年々外国の方がたの関心を集めるようになり、多くの方に興味を持っていただいておるのでありますが、みなさんもすでにお気づきの通り、まったくの日本固有というものは案外に少ないのであります。いいかえれば、長い歴史を通じて多くのものを諸外国から教えられ、それを日本の伝統に則して受け入れてきているのでございます。

仏教やキリスト教のような宗教しかり、さまざまな思想しかり、あるいは漢字のごとき文字しかり、さらにはいろいろな科学技術や政治その他の社会制度など、実に多くのものをこれまでに教えられ、受け入れてきているのであります。よく『日本では世界中の料理がたべられる』といわれますが、こうしたことなどもその1つでありましょう。

そのように、日本は外国から長年にわたっていろいろなものを教えられ、それらを消化吸収して国を発展させ、日本文化をつくりあげてきていると申してよいかと思うのであります。つまり、いわば世界に教えられ、世界の衆知を集めつつ日本の国家経営、国民活動を行なってきた、そこに日本の1つの伝統の精神があると考えられるのでございます。

もちろんそのように世界の衆知を集める前に、日本人同士の間において、ものを考え、ことを行なう場合にも、つねに衆知を集めつつやってまいったのは申すまでもないことでございます。過去はもちろん、今日の日本においても、政治といわず、企業経営、団体運営など国民活動のあらゆる面において衆知を集めることの大切さが強調され、かなりの程度自覚実践されているように思うのであります。私自身、首相という重大な職責にあって、だれよりも衆知を集めてことに当たらなくてはいけないということを、つねづね自分にいい聞かせ心がけておるしだいでございます。

いずれにいたしましても、いま申しましたように、国内の衆知とあわせて、外国からも教えられ、その知恵を受け入れてやっているというところに、日本が今日のような発展をとげてきた大きな原因の1つがあると申せましょう。いいかえれば、そのように諸外国に教えていただいたからこそ、今日の日本があるのであり、その点深く感謝いたしておるのでございます。

ただ、ここで申しあげておきたい大切なことは、日本人はただ単に外国の文物を教えられるがままに受け入れたのではないということでございます。そこに日本の伝統精神の第三の柱ともいうべき、主座を保つということがあげられると思うのであります。

主座を保つというのは、いいかえれば主人公としての立場に立つということであり、また自主性、主体性を持つということでもあります。つまり、外国からいろいろなものを教えられ、受け入れるに際しては、それらを単に鵜呑みにするのではなく、日本人としての立場を失わずに、日本の伝統に則し、日本流にそしゃくして消化吸収してきているということでございます。

こうしたことは、もちろんひとり日本のみならず、各国が外国からいろいろなことを教えられ、受け入れるにあたっては心すべき大切なことであり、すでにどの国においても、ある程度行なっておられることではなかろうかと思うのであります。現に、今日の世界においてとくにすぐれた成果をあげておられる国を見ますと、そういう国はこのような自国の自主性というものをつよく持って国家経営、国民活動を展開しておられるように思われるのでございます。

日本の場合、いちばんわかりやすい例としては文字というものがあげられようかと思うのであります。日本の漢字というものはもともと"漢"すなわち中国から教えられたものでございますが、それ以前には日本には文字らしい文字はなかったのであります。そういうところへ漢字という外国の文字を教えられたわけでありますが、それをそのまま用いるだけでなく、そこから新たに仮名というものも生み出し、漢字と併用することによって、日本のことばに合った文字にしてきたのであります。

さらには、かつては仏教のような宗教を教えられ、それを日本の伝統に則して受け入れることによって、日本的仏教として立派に開花させたということもございます。また現代においては欧米の民主主義思想というものを教えられましたが、これも逐次日本の伝統に合ったかたちで生かし、そこからさきほど申しましたような人間の本質によりかなった、人間本然主義というものをつくりあげてまいったのであります。この人間本然主義につきましてはみなさんもすでによくご承知いただいていることと思います。

そのようにして、日本人としての主座を保ちつつ、諸外国からいろいろなものを教えられ、それを生かしてきたところに、単に外国の物マネにとどまらない日本独自の文化が生まれてきたと申してもいいのではないかと思うのであります。

次のページ
国民共通の国家目標の大切さ

関連記事

アクセスランキングRanking