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生き方

坐禅の作法と掃除の流儀

横田南嶺,鍵山秀三郎(NPO法人「日本を美しくする会」相談役)

2018年02月12日 公開 2023年04月05日 更新

坐禅をして無の境地になると、鳥が止まる…横田南嶺

坐禅の作法について種々説かれていますが、私は三つの要にまとめています。一つ目は「立腰」。白隠禅師は「脊梁骨を竪起する」と述べていますが、「腰骨を立てる」と言えば、一般の方々にもわかりやすいでしょう。

なぜ腰骨なのかと言うと、心や主体性は頭ではなく、腰や腹から来るのが日本の伝統だからです。一方、快楽の刺激は脳に来ます。今の人たちは腰や腹ではなく、頭が異常に発達しすぎているのでしょう。それがさまざまな心の問題を引き起こしているのだと思います。

二つ目は「丹田充実」です。丹田とはおへその少し下あたり。いわゆる下腹に力を入れるときの腹のあたりが丹田です。よく「腹が据わる」という言い方をしますが、この場合の腹が丹田です。丹田を意識すると、心がどっしり落ち着いてきます。

三つ目が「長息」です。息が浅いと、心が落ち着きません。ゆっくり長く呼吸をするだけで景色や感じるものが変わってきます。人と話すときも、呼吸を整えて、ゆっくり話すと落ち着いた感じになります。

坐禅はこの三つ、腰骨を立てて、お腹、丹田に意識を集中させ、あとは呼吸を整えるだけですから、それほど難しいものではありません。これから大事なプレゼンをするとか、人前であがってしまうときに、立ったままでかまいませんから、ちょっと腰骨を立てて、おへその下に手を当てて、ここに自分の中心があると思って、一息、二息ゆっくり呼吸するといいと思います。それだけでも心が落ち着いてくる効果があります。

私たちは十二月に、一週間ずっと坐りっぱなしの行をやります。一週間といっても、ただ坐っていればいいだけですから、天台宗の荒行である千日回峰行のように命にかかわる厳しいものではありません。とはいっても、人間はやはり動いているほうが楽な動物です。じっと坐り続けているのは、その姿勢を維持するために筋肉を使うので、実は大変です。

坐ったまま居眠りをしても、警策で打たれないという時間が夜に二、三時間だけあります。その時間は坐ったまま眠ります。

そうやって一週間坐りっぱなしの行をして、それが終わってから庭掃除をすると、ものすごく喜びを感じます。毎日落ち葉ばかり掃いていると、私たちでもときどき嫌になるのですが、一週間の坐りっぱなしの行を終えてからする庭掃除は格別の喜びがあるものです。

そういうことに気づかせる意味もあって、いろいろな行があるのかもしれません。

お寺には坐禅以外にも「作務」といって、日常生活のさまざまな作業をするお勤めがあります。以前、京都の建仁寺で修行をしておりましたとき、朝早く庭掃除をしていましたら、頭に鳩が止まったことがありました。

しかし無心に掃除をしていたので、頭に鳩が止まったことに気がつきませんでした。ほかの修行僧たちが怪訝そうな顔で私を見ているので、「あれ」と思った瞬間、鳩は飛んでいってしまいました。

私が無の境地にいた一瞬だけ、鳩が止まったのでしょう。高僧が坐禅をしていると、鳥が止まるという逸話も残されています。坐禅とはそういう無我の境地をさしているのだと思います。坐禅を通して、鳥が止まるほどの無の境地に到達できたなら、人と争ったり、憎み合ったりすることもなくなるのではないでしょうか。

ただ、一般の方が坐禅をする場合は、そこまでの境地は求めません。まずはパソコンなり、スマホなりの電源を一度切ってみるといいでしょう。刺激が多い外界を一度遮断してみることが大切です。

そして自然の風を感じたり、鳥の鳴き声を聞いたり、五感を使って、本当に自分が感じているものは何であるのか、耳を澄ませてみるところから始めてみるのがいいと思います。
 

パソコンやスマホを一度使うのをやめてみる

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