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かつてトマトは「赤すぎる」と忌み嫌われていた?

稲垣栄洋(植物学者)

2018年07月14日 公開 2023年01月10日 更新

「赤すぎた」トマト

真っ赤なトマトは、とても美味しそうである。

グリーンの野菜サラダも、赤いトマトを彩りとして添えると急に美味しそうに見えてくる。人間は赤い色を見ると、副交感神経が刺激されて、食欲が湧いてくるのである。

赤色は、甘く熟した果実の色である。だから私たちは赤色を見ると食欲がそそられるのである。

しかし、赤く色づくとは言っても、植物が持つ色素には、真っ赤な色素が少ない。たとえばブドウやブルーベリーなどはアントシアニンという紫色の色素を持っている。また、カキやミカンはカロチノイドという橙色の色素を持っている。こうして、果実は紫色や橙色の色素を使って、少しでも赤色に近づけようとしているのである。

リンゴは「真っ赤」というイメージがあるが、よく見ると真っ赤ではなく、赤紫色である。リンゴは紫色のアントシアニンと橙色のカロチノイドの二つの色素を巧みに組み合わせながら、赤い色を出しているのである。

これに対してトマトは「真っ赤」である。トマトはリコピンという真っ赤な色素を持っているのである。

ところが、ヨーロッパの人々は、それまで真っ赤な果実を見たことがなかった。そのため、この世のものとは思えない、鮮やかすぎる赤色を「毒々しい」と感じたのである。

 

ナポリタンの誕生

トマトは長い間、珍しい観賞用の植物として栽培されていた。トマトを食用としたのはイタリアのナポリ王国である。スペインがアメリカ大陸から珍しい植物であるトマトを持ち帰ったとき、まだイタリアという国は成立しておらず、ナポリ王国はスペイン領だったのである。

一説によると飢饉が起こり、背に腹は代えられずにトマトを食べたのが始まりであるとされている。

ナポリは、スパゲティを大量生産する技術を確立させた場所でもある。ここで大量生産されたスパゲティのソースとしてトマトが用いられるようになった。「ナポレターナ」と呼ばれるパスタ料理の誕生である。ちなみにトマトケチャップを絡ませるナポリタンスパゲティは、戦後に日本で考案された洋食メニューである。

ナポリでトマトソースが用いられるようになったとき、おそらくトマトは高級な食材ではなかったのだろう。トマトソースを絡ませたナポリのスパゲティは、屋台の大釡でゆでて労働者たちが手づかみで食べるような粗野な食べ物だったという。ナポリのスパゲティがいつ頃から食べられていたのか明らかではないが、17世紀末にはすでに存在していたと言われている。

ナポリは、ピザの発祥の地としても知られている。ピザももともとは貧しい人々が小麦粉で作られた生地にトマトを乗せて食べていたことに由来する。ピザもまた、屋台で売られるような食べ物だったのである。18世紀頃の話である。

しかし、トマトソースはナポリでしか食べることができなかった。そのため、トマトソースを使った料理はナポレターナ(ナポリ風)と呼ばれたのである。

そんな異国の植物であるトマトだが、今やイタリア料理にトマトは欠かせない。トマトはイタリアの食文化を大きく変えたのである。

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アジア生まれの「ケチャップ」がトマトの運命を変えた

著者紹介

稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)

植物学者

1968年静岡県生まれ。静岡大学農学部教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て現職。主な著書に『身近な雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)、『植物の不思議な生き方』(朝日文庫)、『キャベツにだって花が咲く』(光文社新書)、『雑草は踏まれても諦めない』(中公新書ラクレ)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『弱者の戦略』(新潮選書)、『面白くて眠れなくなる植物学』『怖くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)など多数。

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