大学中退、離婚、シングルマザー…離島の漁船団を率いることになった理由
<<山口県萩市の離島、大島。ここに、全国から熱視線を集める漁船団"萩大島船団丸"はある。漁業の世界に革命を起こしたこの船団を率いる坪内知佳は、荒くれ者揃いのこの世界へ弱冠24歳で飛び込み、苦心の末、メディアも注目する漁船団に成長させた。
坪内知佳の著書『荒くれ漁師をたばねる力 ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話』(朝日新聞出版刊)より、その苦闘の足跡を紹介する。>>
24歳のシングルマザー、荒くれ漁師と殴り合い
2010年12月、私は山口県萩市の古ぼけた四畳半にいた。
狭苦しい塗り壁の部屋にあるのは、生活必需品のほかにはパソコンとプリンター1台だけ。私は食い入るようにパソコンの画面を見つめタイプしていた。隣には3歳になる子どもがいる。
初めて萩の町を見たのは、私が大学1年生のときだった。山口宇部空港から日本海側に抜ける国道は中国山地を貫いて、山また山の中を走り続けて1時間あまり、視界は急にふわっと開ける。
眼下には淡いグレーの市街地、その向こうにキラキラ光る日本海が広がって見えた。町の上にはどこまでも続く青い空がある。
(この町には長く暮らすことになるかも)
そんな予感がしたのを、いまでもはっきり思い出す。
大学を中退し萩で結婚。専業主婦となった。そして離婚を経て4年後、私はシングルマザーになっていた。
家賃2万3000円、冬には凍って水が出なくなるようなこの狭い部屋で、幼い子どもと2人きりの暮らしだった。
大学中退、離婚、シングルマザー……。
傍から見たら、こんな私は絶望的な状況に見えるかもしれない。
しかし、このときの私は、これから切り開いていく未来への野望で満ち満ちていた。
私が夢中になってパソコンで作成していたのは「総合化事業計画書」と銘打った一つの書類である。
当時24歳だった私は、沖に浮かぶ小さな島の漁師たちとともに、大きな革命を起こそうとしていた。
「えーい、もういい。小娘は黙っとけ。わしらはお前につきあってれんけ、もうやめるぞ」
そう言うと、漁師を率いる船団長の長岡秀洋がいきなり立ち上がって、その場から出ていこうとした。思わず、
「ちょっと、待てや」
彼が着ていたウインドブレーカーを思い切り引っ張ると、ビリッ!と派手な音。ウインドブレーカーはちぎれていた。
次の瞬間、
「ふざけんな‼」
船団長のこぶしが私のほうに飛んできたのである。彼なりに手加減をしてくれたのだろうが、私はそうはいかない。
「やったな!」
負けじと船団長を殴り返そうとすると、彼のメガネがスコーンと飛んで地面に落ち、大きく曲がった。
船団長はその場でこぶしを握りしめ、ぶるぶる震えながら仁王立ちになっている。
鬼の形相で立ちつくす大の男。でも顔からはメガネがなくなり、ウインドブレーカーは破けて、はたはた風にあおられている。
その姿があまりに可愛げたっぷりでおかしかったので、怒りもどこかに吹き飛んでしまった。
「プッ」と笑いだしている私と、憮然とする船団長。
「とりあえず新しいウインドブレーカーとメガネ、買ってあげるけぇ。いまから買いに行こうや」
そう言って猛獣をなだめるように静かに近づくと、彼も一気に緊張がとけたのか、顔がゆるんで、
「……おおう」
と子どものように口をとんがらせて、うなずいた。
口べたで気性が荒いと思われがちな漁師たちだが、実は、根は優しくまっすぐな心の持ち主だ。
彼らとは数えきれないほど喧嘩をし、ときにはとっくみ合いもした。
けれども最終的に仲直りできる理由はただ一つ。
私と彼らが、“ある夢”を共有しているからだ。
島の未来のために、日本の水産業のために、地方創生のために、どんな困難があっても立ち向かってみせる。その純粋な思いが私と漁師たちを一つにしている。