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「ポケモンGO」大成功の陰に…ジョン・ハンケが味わった天国と地獄

大熊希美(翻訳家)

2018年12月13日 公開 2024年02月01日 更新

何も保証されないスタートアップでの仕事

キーホールで働き出したビルだが、そこでの仕事は安定とは程遠いものだった。キーホールは1999年に創業し、2000年頃から資金調達に動いていた。けれど、同じ時期にドットコムバブルの崩壊が始まり、資金調達は難航する。

2001年初頭にいくらか資金を得られたものの、また新たに調達するのは厳しい状況となった。資金が底を尽きる前に利益を上げられるようにならなければならない。けれど、キーホールが当初、サービスの配信パートナーとして提携していたインターネットプロバイダーはバブルの崩壊とともに倒産し、キーホールはプロダクトの販路を失ってしまう。

キーホールでのビルの初仕事は、新たなビジネスモデルを考えるところからだった。

ビルはアースビュアーの売れる市場を見つけるため、あらゆる業界のトレードショーに参加し、アースビュアーを紹介して回った。そしてついに不動産業界でプロダクトを売る足がかりを作ることに成功する。

不動産業界ではそれまで地図を作成したり、データを分析したりするのにGIS(地理情報システム)を使っていたが、これはGISの使い方を学んだ専門家しか扱えないという問題があった。

アースビュアーを誰でも簡単に使えるGISソフトウェアとして不動産業界に訴求した結果、少しずつだが着実にクライアントを増やすことができた。それに加え、ジョン・ハンケもエヌビディアや日本のゲーム会社との案件もまとめていた。
 

残り3ヶ月で倒産の窮地

しかし、同時にキーホールでは設備投資や人材の採用を進めていたため、財務状況は芳しくなかった。徐々に会社の預金残高が減り、ジョンは最終手段に出る。

友人や家族から資金を募り、社員にも会社の株式を提供するかわりに給料カットをする施策を行った。それでも廃業せざるえなくなるまで残り3ヶ月になってしまう。

ファウンダーもさることながら、社員も気が気ではなかっただろう。何人かの社員が会社を去り、ビルもまた最悪の事態を想定して転職活動をしていた。

ジョンは自分の貯金を会社に貸し、なんとかキーホールを存続させようとしていた。ビルはその時のジョンの様子について、「ジョンは希望を失っていないように振る舞っていたが2人だけになると、キーホールの先行きに自信を失くしているように見えた」と書いている。

キーホールにとって幸運だったのは、それから間もなく、In-Q-Tel(CIAの投資部門)とCNN との大型案件が決まり、間一髪、会社の財政状態を持ち直すことができたことだ。

CNNはイラク侵攻を伝える24時間番組でキーホールアースビュアーを使い、ソフトウェアの提供元としてキーホールのURLを記載した。これにより一気にキーホールの認知を広め、ユーザーを獲得することができたのだった。

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