写真:齋藤清貴(SCOPE)
<<歴史、哲学、宗教、自然科学など、近年ビジネスマンが身につけるべき教養が書籍などでクローズアップされている。
しかし、元・東レ経営研究所社長の佐々木常夫氏は「知識だけをいくら集めても、『本当の教養』は身につかない」と断言し、「ビジネスマンにおける教養とは、成果に結びつくものでなくてはならない」と提唱する。
本稿では、成果を出すのに必要な「ビジネスマンが身につけたい本当の教養」における、「お金の使い方の大切さ」について紹介する。
※本記事は、佐々木常夫著『人生の教養』(ポプラ社)より、一部を抜粋編集したものです。
お金の「使い方」に人格があらわれる
お金の使い方にも人の中身はよくあらわれるものです。お金のリアリズムは人間のもつ品性や教養をよくも悪くもあらわにしてしまいますから要注意です。
これはある中小企業の社員から聞いた話ですが、ある日、社長が四人の若手社員を誘って居酒屋に繰り出した。
二時間ほど飲み食いすると、社長は「じゃあ、私は先に」と席を立って帰っていった。帰り際にテーブルにお金を置いていったが、それは樋口一葉が印刷された五千円紙幣一枚。
この時点で、社員たちは「ん?」となったが、「まあ、仕方がないか」と思い直して、その後も飲み続けた会計の合計が五人で三万円。
社長がふところから出したお金は割り勘の一人分にも足りなかったというオチがついたそうです。社長の株が大暴落したのはいうまでもありません。
私も勤め人時代、上司の専務から飲みに誘われたが、連れていかれたのが安い赤ちょうちんだったのに加えて、会計時に「はい、一人三千円通し」といわれてさらにガッカリ。
それまでの専務への信頼がガラガラと崩壊する音をはっきり聞いたような気がしたものです。サラリーマンならだれしも経験のあることでしょう。
ことほどさように、お金にまつわる言動はその人の人品骨柄をストレートにあらわすものです。ケチな人はケチに、見栄っ張りは見栄っ張りに、大らかな人は大らかに、お金を使い、あつかう。お金ほど人間を示す敏感なリトマス試験紙はありません。
やはり、ある有名な企業の社長さんのエピソードです。この方とは一度か二度、同じ講演で講師を務めたことがあり、私の関係するセミナーに講師としてお呼びしたこともありました。
その人からあるとき、「うちの社員を教育したいから、佐々木さん、しゃべりにきてくれない?」と頼まれて、知らない仲でもないので二つ返事で引き受けました。
ついては「事前に説明に行きます」といいます。私はてっきり部下の担当の人が訪ねてくるのかと思っていましたが、二人の部下を引き連れ、社長みずから私の事務所を訪ねてくると、彼自身が玄関のチャイムを鳴らしたのです。
そうして講演の内容―テーマは何で、会場はどこで、日時はいつで、パワーポイントを使うのか、ホワイドボードは必要かといったこまごました点まで、みんな社長みずからが説明する。あげくの果ては講演料の交渉まで社長がし始めましたが、その金額がまた常識外れに安かったのです。
いっしょに講演をしたり、自身が講師に呼ばれたりもしていますから、講演料の相場というものはその人も心得ているはずです。しかし、彼が提示した金額はその相場の四分の一くらいでした。
社長がみずから出向いてきて頼まれた以上、こちらも断りにくい。それをなかば承知のうえで、安いとわかっている金額を「押しつけてきた」感じが濃厚でした。
金額の多寡をうんぬんするわけではありませんが、これはちょっとマナー違反としかいいようがない申し出です。名を聞けば、だれもが知っているような有名企業のトップのすることではないなと、さすがに私も苦笑しながら少し呆れたものです。