写真:齋藤清貴(SCOPE)
<<語彙力、雑談力、教養力など、日常的な会話で問われる「言葉」に関する書籍が支持されている。
しかし、元・東レ経営研究所社長の佐々木常夫氏は「知識だけをいくら集めても、『本当の教養』は身につかない」と断言し、「ビジネスマンにおける教養とは、成果に結びつくものではならない」と提唱する。
ここでは、成果を出すのに必要な「ビジネスマンが身につけたい本当の教養」における、「自分自身を冷静に見ることの大切さ」について紹介する。>>
※本記事は、佐々木常夫著『人生の教養』(ポプラ社)より、一部を抜粋編集したものです。
自分を冷静に眺める目を持てば、制限時間をオーバーすることはない
自分が他人からどう見られているかという客観的な視点の備えがあるのとないのとでは、自分の言動やふるまいに大きな差が生まれます。つまり、自分を冷静に眺める目。これも教養に欠かせないひとつの大きな要素なのです。
私の経験でも、スピーチやパネルディスカッションなどの場で、あらかじめ割り振られた発言の持ち時間を守らない人がいます。
自説をとくとくと、あるいはだらだらと牛のヨダレみたいに長引かせて制限時間をオーバーする。それでいながら、他の人の発言時間を奪っていることや全体の時間が長引くことへの配慮や反省の様子はみじんもなく、少しも悪びれない。そんな人です。
あくまで自分本位で相手のこと、主催者や聴衆のことは考慮に入れていない。そうして周囲から自分のふるまいがどう見られているかという客観的な視点にも欠けている。「自分を見る目」がひどく鈍いのです。
一方で、前の人の発言が3分延びたのを、自分の発言を3分短くすることで調節するような気づかいの人もいます。それも、いいたいことをカットしているのではなく、発言内容を凝縮することで、いいたいことはちゃんと伝えたうえでの対応です。
この人の職業は大学の先生でした。さすがは講義のプロだと感心させられたものです。
老子に「知人者智、自知者明(人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり)」という言葉があります。ある程度の知性があれば、他人を洞察することはできる。しかし、自らを知ることは、より深い洞察力をもった聡明な人間にしかできないという意味です。
この自らを知る「明」こそ、教養に必須の要件といえますが、人間が人を見る目はたいてい「他人に厳しく、自分に甘い」のが相場です。自分の能力は過大評価するが、他人のそれは過小評価する傾向にあるのがわれわれ凡人のつねなのです。
自分を見る目は必ず甘くなる――だからこそ、自分が人からどう見られているかという客観的な視線を意識することが大切になってきます。
その外から自分を見つめる目がないと、「品のない、無教養な人だな」と静かに断罪されることにもなりかねません。