「敗者」というと、戦いに敗れた弱い存在、みじめな存在だと考える人が多いだろう。
だが、38億年に及ぶ生命の歴史の中では、むしろ強者こそが先に滅び、敗者のほうが生き残ってきたという。そして、その象徴的なエピソードこそが、「地上への進出」だという。「弱者こそが生命史を育んできた」というユニークな視点から『敗者の生命史38億年』を上梓した植物学者の稲垣栄洋氏が、生物の地上への進出に隠された「秘話」を明かす。
※本稿は稲垣栄洋著『敗者の生命史38億年』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです
偉大なる一歩は本当に「偉大なる挑戦」だったのか?
海の中で生まれ、育まれてきた生物。その中で、最初に「上陸」を果たした脊椎動物は原始両生類である。
懸命に体重を支え、ゆっくりとだが、力強く手足を動かし陸地に上がっていく。その目は、まさに未知のフロンティアを目指す意志にみなぎっている。
人類で初めて月面に降り立った宇宙飛行士のアームストロングは「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という言葉を発した。
上陸に成功した両生類は、何という言葉を残すだろう。しかし、この一歩こそが私たち脊椎動物のその後の繁栄につながる偉大な一歩だったことは間違いない。
しかし、である。
脊椎動物の陸上進出は、本当にこのような勇気ある冒険者によってなされたのだろうか。
巨大オウムガイと6メートルの甲冑魚が支配する世界
古生代、ありとあらゆる生物が進化を遂げ、地球に広がる大海原は生命にあふれていた。多様な種が出現し、豊かな生態系を作りだしていたのである。
しかし、生態系というのは「食う・食われるの関係」である。傍目に眺めていれば、豊かな海に見えるかも知れないが、そこを生き抜くことはけっして簡単なことではない。
このころ、海を支配していたのは、巨大なオウムガイであった。魚たちは、オウムガイの餌食になっていたのである。
また魚の中にも、頭部や胸部を厚い骨の板で武装した甲冑魚と呼ばれる種類が出現した。
甲冑に身を包んだ、いかにも強そうな彼らの最大の武器は「あご」である。それまでの魚は、現在のヤツメウナギのようにあごを持たない魚であった。しかし、甲冑魚は力強いあごを持ち、捕えた魚をむしゃむしゃとかみ砕いていく。まさに敵なしである。
生態系の頂点に立った甲冑魚の中には、6メートルを超えるような巨大な体で悠々と泳ぐものもいたという。
栄枯盛衰を繰り返す生命の歴史の中で、やがてはサメのような大型の軟骨魚類が現れ、甲冑魚に代わって海の王者の地位を奪っていった。
海の中は、力が支配する弱肉強食の世界だったのである。