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「砂漠の狐」ロンメルがヒトラーと初めて出会った日

大木毅(おおきたけし:現代史家)

2019年04月22日 公開 2022年07月19日 更新

 

ロンメルはナチスに対してどんな印象を抱いていたのか?

ここで、やや時系列をさかのぼる。ロンメルが「万年大尉」から少佐に進級するまでのあいだに、ドイツの政治と社会は劇変をとげていた。極右の零細政党にすぎなかったナチス党が、復員兵アドルフ・ヒトラーに率いられ、十数年のうちに権力の座をうかがうまでになっていたのである。

1933年1月30日、ヒトラーは首相に就任し、ナチス党と他の保守政党の連立政権を樹立した。

続く数か月のうちに、ヒトラーはたちまち独裁制を完成させた。ヴァイマール憲法は、国家の危機に際して、元首である大統領が緊急令を発し、議会の承認なしで統治を行う権限を認めていたが、それが仇になったのである。

第1次世界大戦の英雄で、当時の大統領であったパウル・フォン・ヒンデンブルクは、ヴァイマール共和国末期からすでに、この大統領緊急令を乱発していた。ヒトラーとナチスは、さらにヒンデンブルクの大統領権限を借り、緊急令によって、民主的な国制を空洞化させていったのだ。

1934年8月2日、ヒンデンブルクが死去した日に、大統領職と首相職を統合する法令が発効し、同年8月19日の国民投票によって確認された。ヒトラーは「首相兼総統」として、名実ともに独裁者となったのである。

では、このような動きに対して、ロンメルはどのような姿勢を取っていたか。

実のところ、この時期にロンメルがいかなるナチス観を抱いていたかを示す史資料や証言は、ほとんど残されていない。

ロンメルの妻のルチー=マリアによれば、彼女が記憶するかぎり、初期のナチスについてロンメルが加えたコメントは、「信用できない悪党の一団らしい」というものだけで、ヒトラーもあんな連中が取り巻きでは気の毒だと難じたという。

ちなみに、ロンメル夫人から、この証言を引き出した『ロンメル将軍』の著者デズモンド・ヤングは、「信用できない悪党」を表すのに、英語のscallywags を使っている。

南北戦争後のアメリカで、私利私欲から、エイブラハム・リンカーン大統領の再建政策を支持した南部の白人、つまり裏切者を示す蔑称だ。

こうした言葉から、ロンメルは政治、ひいてはナチスに関心を抱いていなかったとする推定が一般的である。加えて、ロンメルばかりか、ライヒスヴェーア(ヴァイマール共和国国防軍)の将校は、政治にかかわるべきではないとしつけられており、法律で投票も禁じられている、おおむね非政治的な存在だったとする主張も少なくない。

 

ヒトラー個人に服従を誓うことになったロンメル

しかしながら、ロンメルと勃興期のナチスの関係を研究した、サルフォード大学ヨーロッパ安全保障研究センター長のアラリック・サールは、上記の非政治的な軍人という説明は、第2次世界大戦後も、無数の元将校たちによって繰り返されてきた弁明論であるとして一蹴する。

ロンメルもまた、ヴェルサイユ条約のくびきにつながれたことを憤り、ドイツを再び欧州の大国とすることを夢見る、保守的・国家主義的なライヒスヴェーア将校の例外ではなかったと推測したのだ。

すなわち、ロンメルは、ヒトラーとナチスを支持しないまでも、敵対視はしなかったはずだと示唆しているのである。

事実、ナチスに傾斜していたヴェルナー・フォン・ブロンベルクが、1933年1月30日に国防大臣に就任するとともに(同日、歩兵大将に進級)、軍の政治教育は強化されていた。

1933年以前から、兵士の座学の科目として「日常の政治問題」が置かれていたのだが、これは1934年4月に改正され、1936年1月には授業内容も標準化された。そこには「人種知識」や「優生学」も含まれていたのだ。

ロンメル個人をみても、前述のリンダウ攻撃にあきらかなように、国家の秩序を守るために必要とあらば、相手がドイツ国民であろうと、一戦交えるのをためらわなかった。

そうした規範意識からすれば、ドイツの再建と拡張を唱えるナチスに対しても、敵対心は持たなかったであろうと思われる。が、それを裏付ける史資料が皆無にひとしい以上、結論は留保するしかない。

ともあれ、ロンメルは、好むと好まざるとにかかわらず、ヒトラーとナチ体制に忠実でいなければならなくなる。

すでに1933年12月1日付で、宣誓の文章が改訂され、忠誠の対象は憲法ではなく、民族と祖国であるとされていた。ところが、1934年8月2日、さらに新しい宣誓がなされることになり、軍人は、ヒトラー個人に服従するものとされたのだ。

「私は、ドイツ国とドイツ国民の総統、国防軍最高司令官であるアドルフ・ヒトラーに、無条件の忠誠を捧げるとともに、勇敢なる軍人として、本宣誓にもとづき、いついかなるときでも身命を賭す用意があることを、神かけて誓います」。

ロンメルもまた、ヒトラー個人に服従を誓った。そのことは、彼のそう長くはない人生の晩年において、重大な意味を帯びていくのである。

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ヒムラーの面構えを好まず、ゲッペルスには共感

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