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元花組トップの明日海りおが「新時代の宝塚歌劇の象徴」だった理由

松島奈巳 (演劇記者)

2019年12月04日 公開 2022年01月26日 更新

 

ドメスティックな「秘密の花園」の扉がひらかれた

筆者が週刊誌の演劇担当だった1990年代。歌劇団はとても取材がしにくかった。そもそも広報宣伝という概念があるのかなぁと思うこともしばしばだった。

当時は「秘すれば花」。露出をしぼり、希少価値を高める。劇場に足を運ばないと、始まらない。歌劇団公認の書籍や雑誌でないと、基礎知識も得られない。そんな時代が長かった。

加えていえば、宝塚歌劇は阪急電鉄の一部門であり、広告塔でもある。阪急グループといったら京阪神の大コンツェルンである。取材を受けて悪口を書かれるくらいならば、接触しない方がいいという意識さえかつては感じられた。

だが。そんなドメスティックな伝統は次第に通用しなくなる。

不況の波が続き、ゲーム、ネットなど種々の娯楽ツールが増え、「根強いファンが支えてくれるから」という甘えが通らなくなる。

こうして外部媒体への露出が増えた。

2000年代にはテレビ番組の威力は絶大だった。

静岡市内の中学3年生だった明日海りおは、バレエ仲間から借りた公演ビデオで宝塚歌劇にハマった。同じようにたまたまチャンネルを合わせていた番組にタカラジェンヌが出演しており、興味を持った視聴者が全国で同時多発した。

ただテレビ出演は、両刃の剣。逆効果になることも少なくない。

2000年の姿月あさとの退団に際して、どんな男役だったかよりも、ダフ屋でチケットが30万円で取引きされたという点にテレビ番組は終始した。「廊下を直角に曲がる」「便器をピカピカに磨きあげる」など音楽学校のトリビアをことさらに珍しがったりもした。

正直、テレビ番組での取りあげ方には、「宝塚歌劇=フツーじゃない」「タカラジェンヌ=変わった人」という方程式があった。

はっきり言うと、2000年ごろまでテレビ局にとって宝塚歌劇は色物に過ぎなかった感じがぬぐえなかった。それが次第に転換してゆく。

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変わりゆく宝塚と時代を映すトップスター

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