転職のリスクを敬遠し「なぜか起業してしまった人」の末路
2019年12月11日 公開 2024年12月16日 更新
会社が逃げ切り世代以下の個人の人生を保証してくれなくなった今、嫌な思いや納得感を抱えたまま会社に残る必要があるのか。そんな考えが頭をよぎっても、転職や独立するような自信もない。「このまま、会社にいるしかないのか? 」と悩みや焦りを感じている人は少なくないだろう。
「地味な起業」を実践することで、今の会社にいても、辞めても一生食いっぱぐれない。そんな生き方を目指すべきと語る田中祐一氏は、「普段やっていること」をお金に変え経済的に自立する新しい働き方を提案し注目を集めている。
ここでは田中氏の著書より、転職する自信もなかった田中氏が、当時の彼女の影響で起業をしてしまい、その結果得られた教訓について語っている一節を紹介する。
※本稿は田中祐一著『僕たちは、地味な起業で食っていく』(SBクリエイティブ)より一部抜粋・編集したものです
「一生一社」に覚える不安
僕は大学卒業後にシステムエンジニアとして働いていました。
そもそもシステムエンジニアを志望したのは、当時から「これからはITスキルを伸ばさなければ!」という思いがあったからです。OB訪問で先輩たちの話を聞くなかで
「システムエンジニアは、社会人にとって欠かせないコミュニケーション力が求められる仕事だよ」と教えて頂いたことも大きかったと記憶しています。
いろんな人と折衝して、みんなをまとめながら大きなプロジェクトを成し遂げる。そんな仕事にあこがれていた僕は、幸運にも第一志望から内定を頂くことができました。
今、振り返ってみても、僕はそこまで優秀な社員ではありませんでした。何しろ、入社後に受けたプログラミング研修の成績は、40人中の40位。内定時には「人差し指一本でじっくりと打つ」というタイピングレベルだったのですから、当然です。
周りは、東大京大、早慶出身の優秀な同期たち。会社のなかで出世して活躍することは早々にあきらめて、「みんながどうすれば気持ちよく働けるのか」を考えながら仕事をするようになりました。プロジェクトを陰で支えながら、チームに貢献する。
そんな働き方は性に合っていましたし、土日に仕事をするのも苦ではありませんでした。
大手の会社でしたから、同世代の社会人と比べて、比較的待遇にも恵まれていたと思います。
でも、待遇に甘えてずるずると会社にいたら、いつか後戻りができなくなるような気もしていました。たとえば結婚をして、子どもができて、ローンで家を購入したりしたら、辞めるに辞められなくなるのが目に見えています。
ベテラン社員になり、希望退職や「肩たたき」にあってからでは手遅れです。何より、僕は他の人よりも不器用なので、「とにかく早く動いて準備しないと!」という焦燥感はすごくありました。
しかし、とくに人より目立ったスキルもなく、得意なこともないので、何をどうすればいいのか想像もつきません。「やばい! でも何をすれば……」そんな焦りが自分を包んでいました。