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生き方

なぜ、幸せな定年生活に仏教が役立つのか

鵜飼秀徳(正覚寺副住職・ジャーナリスト)

2020年02月07日 公開 2023年09月12日 更新

ビジネスと仏教。一見遠い存在に思える両者であるが、仏教の考えはビジネスにおいて活用することができる、と説く人物がいる。

現在、正覚寺で副住職を務める鵜飼秀徳氏は、かつて新聞や雑誌の記者として働いた経歴をもつ。仏教は現代社会に生きる我々に何をもたらしてくれるのか。詳しい話を伺った。

※本稿は月刊誌『Voice』2020年3月号、鵜飼秀徳氏の「仏教から学ぶ幸せな定年生活」より一部抜粋・編集したものです。

聞き手:Voice編集部(中西史也)

 

「成果主義疲れ」の処方箋

――著書『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)は、ビジネスとは遠い存在に思える仏教を仕事に活用する方法が書かれています。

副住職を務める鵜飼さん自身も、かつて新聞や雑誌の記者として働いた経験があるとのことですが、いまの日本企業の様子をどうご覧になりますか。

【鵜飼】「成果主義疲れ」に陥っているように思います。私のような団塊ジュニア(1971~74年に生まれた世代)は、バブル崩壊後の就職難に直面しました。派遣社員や非正規雇用者が多く、正社員で就職しても、厳しいノルマや数字を強いられてきた。

とくに2008年のリーマン・ショック以降、この傾向が強くなったと感じます。企業は目先の利益の確保を迫られ、社員はどんどん疲弊していく。現在、働き方改革がしきりに言われていますが、まず意識すべきは成果主義の負の側面を払拭することでしょう。

――そこで、いまこそ仏教の活用を、と説かれています。仕事のなかでどう役立つのでしょう。

【鵜飼】 仏教の考えに拠ることで、働く意義や幸せとは何かを見つめ直すことができます。日本では昭和の高度経済成長期から物質主義が進行し、社員は会社のために働くことが是とされてきました。

しかし、組織は絶対的な存在ではない。「諸行無常」という言葉があるように、すべては移ろいゆく存在であり、未来永劫続く会社などありません。起業して100周年を迎えられる企業は全体の1%ほど、というデータもあります。

近年はとくに SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及もあり、思わぬかたちで不正が暴かれて一瞬で拡散され、不幸な結末を迎えることもあるでしょう。

――デジタル化への対応に追われる一方、仕事へのやりがいを見出せず、虚無感を覚える人は増えているかもしれません。

【鵜飼】 日産自動車の会長だったカルロス・ゴーン氏は、会社の利益を追求して多額の報酬を得ていました。しかしいまの彼を見て、幸せな人生だったと言えるでしょうか。

仏教を一つの切り口にすることで、働くとはどういうことなのか、自分にとっての幸せとは何かについて、あらためて考えることができるはずです。

――たとえば、鵜飼さんは会社員時代に仏教の教えが活きた経験はありましたか?

【鵜飼】「つながり」を意識できたことは、日々の仕事の糧になりました。私は寺の家に生まれ、学生時代に僧侶の資格をとっていたので、会社ではよく「君はどうせお寺に戻るんでしょ」と言われてきました。

でも、私は会社の仕事を軽視していたわけではない、と断言できる。それは、33代続く寺の家で育てばこそ、人びとが伝承する「つながり」に思いを馳せることができたからです。

会社では、社内の先輩・後輩といった縦のつながり、部署や社外の人たちとの横のつながりがありますよね。そうした周囲の方々の助けによって自分は仕事ができているのだ、と自然に「縁起」を意識してきました。

「縁起」というと、偶然の産物といったイメージをもたれるかもしれません。しかし本来の意味は逆なんです。すなわち、この世のすべての現象は原因と結果(因果)で生じている、ということ。

良い行ないをすれば、良い結果がもたらされる。つねにそう考えることで、自分を律することができました。

――まさしく、因果応報ですね。

【鵜飼】 さらにいえば、「つながり」を意識することで、仕事に不可欠となる想像力が養われた気がします。思いを巡らすことは、仏教でとても重視される行為です。

営業では取引先の気持ちを推し量る必要があるし、何かを製造するには消費者のニーズを捉えなければならない。先祖に思いを馳せることは、最終的には目の前の人たちを大切にすることにもつながってくるのです。

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定年後に活きる「利他」の精神

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