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生き方

「優越感に浸りたがる人」が抱え続ける”生きづらさ”

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2021年01月26日 公開 2024年12月16日 更新

「自分は他人より劣っている」と感じてしまうことは、多くの人が一度は経験があるのではなかろうか。

子供の頃から、“劣等感”が強い人は本当の自分が自分でわからなくなり、他人より上に立つことで自身の安全性を保とうとする、と加藤諦三氏は語る。

加藤氏の著書『「自身が持てない人」の心理学』では、心に何らかの問題を抱える人が、過去に経験してきた環境やトラウマについて解説している。何故、強い劣等感が生まれてしまうのか。その理由について同書より詳しく解説する。

※本稿は、加藤諦三(著)『「自信が持てない人」の心理学』(PHP研究所)より内容を一部抜粋・編集したものです。

 

親の“過保護”や“脅迫的言動”が 「他人より優越したい」と思うようになる

私は、少年時代、青年時代ともに、劣等感が強かったので、劣等感についての本はよく読んだ。

そして、それだけ読み漁った中で、これだけは劣等感についての指摘で忘れてはならないことだ、と感服したのは、ホルナイ(アメリカの女性精神分析学者)の次のような指摘である。

“もしその人が、「私達」という所属感をもつことができれば、その人の劣等意識は深刻なハンディキャップにならない”

ところが、親が神経症的であるとどうなるか。子供に対する親の態度は、親の神経症的な要求によって決定される。

神経症的な要求とは、簡単にいうと、親の支配的な態度であり、過保護であり、脅迫的言動である。イライラすることであり、甘やかしすぎることであり、無関心であることである。

つまり、親自身が自分の内面に心理的な問題をかかえていて、その解決に精いっぱいであって、とても子供の心を理解するなどという余裕がない。このような親の態度の結果として、子供は「私達」という感覚を育てることができない。

その代りに、深く漠然とした不安感をもってしまう。世界の中で自分は孤立し無力である、という感じをもつ。無気力であるという感じ方は、誰も自分を助けてくれないという感じ方である。

そして、子供の感じるプレッシャーは、子供が他人と自分を関係づけることを妨害する。何となく他人と自分を関係づけ、仲よくしていたい、一緒に遊びたいという感じ方ではなく、その子は他人と張り合うようになってしまう。

このようになってしまうと、他人と比べて自分は劣っているのだという感じ方は、自分にとってたいへんな脅威となることは十分理解できる。そして、他人の上に自分を引き上げようという激しい欲求を自分の中に育ててしまう。

つまり、他人より上に自分を引き上げることで、自分の安全を獲得しよう、ということである。

 

劣等感が強いと、“自分自身”がわからないまま大人に

他人よりも上に立ちたいと思うようになると、次のことが生じてくる。自分からの自分の疎外である。本当の自分が自分にもわからなくなってくる。

最大の必要性は心理的安全である。その必要性を自分の中でどんどん大きくし、自分自身の感じ方、自分自身の考え方を、どんどん後退させてしまう。自分の感じ方は、もう自分にとって重要でなくなってしまう。

ホルナイの原文をそのまま書くと、次のようである。

It does not matter what he feels, if only he is safe.

私は小さい頃、空襲というのをよく経験した。アメリカの飛行機が爆弾を落としていく中を、防空壕に入ったり、逃げたりしたという経験がある。何をおいても身の安全が第一なのである。おそらく心理的にも同じであろう。まず安全である。

自分の周囲の世界を敵意に満ちていると感じた子供に、自我の発達など望むべくもない。自分の感じ方、自分の望み、自分の考え方などが問題になるのは、温かい愛情に満ちた世界で育った子供である。そうして育った子供は、他人と一緒という「私達」という感じ方もできるだろう。

ところが、そうでない子供は、安全第一で、真の自分とは無縁に生き始めるだろう。彼は自分で自分を動かしているのではなく、他人に動かされている存在になる。

車を考えてみる。運転しているのは自分の欲求で、車は自分である。これが正常であろう。ところが、運転しているのは他者で、車は自分ということがある。劣等感が強いとこのようなことになる。

自分の欲求、つまり自分は何が好きか、本を読むのが好きか、外でとび回っているのが好きか、部屋の中で一人で音楽をきいているのが好きか、皆とわいわい騒いでいるのが好きか、ということが大切なのである。

自分の適性が運転席に座っている。それが自己実現した人間である。いずれにしても、私達がはっきりと知らなければならないことは、私達が「私達」という感情、所属意識を育てられなかったところに劣等感の問題があるのだ、ということである。

しかし、不幸にして神経症的なイライラした雰囲気、不機嫌な雰囲気の中で育ってしまった人は、この感情が育っていない。そこで何よりもこの感情を自分の中で育てようとしなければならない。

この感情を育てることがどれほど難しいかは、劣等感の強かった私自身、わかっているつもりでいる。ただこの感情を育てない限り、自分の劣等感の問題は解決しないのである。

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優越することでは、本当の「自信」は生まれてこない

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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