誰しも一度や二度、身近にいたことのある、不機嫌で気むずかしい人。周囲の人に気を遣わせ、疲弊させてしまう正直めんどうな存在だ。
加藤諦三氏は、いつも不機嫌な人は“自分の中に甘えを多く残している”と指摘する。母親に欲求を満たしてもらう3歳児と同じだという。
同氏の著書『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』では、こうした人の心情を細かく分析し、彼らに“欠けている部分”を述べている。
※本稿は、加藤諦三(著)『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
不機嫌な人は満たされていない
甘えとは、要求の多いことである。周囲の自分に対する反応に要求の多いことである。「自分がこうしたら、周囲はこう反応してほしい」ということの多い人が、甘えた人ということである。
「自分がこう言ったら、周囲はこう反応してほしい」という要求を強く持っている人は、甘えを自分のなかに多く残している人である。気むずかしい人などというのも、甘えた人なのである。
「もっと自分の言うことに感心してほしい」「もっと自分の言うことに深く耳を傾けてほしい」「もっと自分のやったことに驚嘆してほしい」「もっと自分の立場をほめてほしい」──そんな要求の強い人は、甘えを残している人である。
小さな子供なら、望む反応が得られない時、怒ったり泣いたりすればよいが、大人になって、泣いたりわめいたりするわけにはいかない。そこで不機嫌になる。不機嫌とは、自分の要求をはっきりと言えない状態である。
自分のことをチヤホヤしてほしいと望んでいる時、相手がそっけない態度をとったとする。とたんに不機嫌になる。しかし、自分のことをチヤホヤしてほしいとは言えない。
言えないけれど、そう望んでいる。不機嫌な人は、甘やかされたいのである。甘えが満たされていないのである。満たされない甘えが、常にその人の感情を突き動かしている。
不機嫌というのはPassive aggressiveである。はっきりと攻撃的にはならないが、どこかで相手を責めている。受け身のかたちで相手を責めている。
自分がチヤホヤとその場に受け入れられたいと望み、そのように受け入れられることを期待している。しかし、逆に拒否の雰囲気があれば、それには敏感であろう。
甘えとは、自分を中心とした際限のない受け入れの要求である。自分のエネルギーに合わせて、皆が動いてほしいということである。自分が一人になりたい時には、一人にしておいてほしいということである。愛されたい、しかも十分に愛されたいということであろう。
甘えの欲求を満たそうとすると“虚栄心”が強まる
甘えの欲求を満たされていない人は、たいてい虚栄心が強い。他人の称賛を必要とする。皆に、「わあ、すごい」と言ってもらいたい。虚栄心を満たそうとして努力する。
そのエネルギーは大変なものである。そして、皆の注目を集め、「わあ、すごい」と言われることで満足する。しかし、これは満たされない甘えの欲求を間接的に満たそうとしているのである。
甘えの欲求を、直接満たそうとするより、間接的に満たそうとすることのほうがより多くのエネルギーを必要とする。虚栄心の強い人が自分を満足させようと、いつも心の安らぎがないのはこのためである。
だが、虚栄心の強い人は、自分の虚勢をなおすために必要なものや、必要な人が見分けられないのである。虚栄心の強い人というのは、一人では何もできない。一人で何かをしているのではつまらないのである。
一人で泳いでいても面白くない。一人で森を散歩していても気がめいる。それはちょうど小さい子供が何をするのにも母親と一緒でないとつまらない、というのと同じことなのである。
小さい子供、まだ甘えたい2~3歳の子供が、何をしても母親と一緒でないと元気が出ないのと同じである。音楽を聴いても、一人では淋しくてたまらない。鳥の声をきいても安らぎがない。
虚栄心の強い人は、甘えの欲求が満たされていないから、一人では何をやっていても気がめいってしまうのである。要するに、一人では元気がでない、一人では生きていることを楽しめない、一人では何をしても楽しくないのである。