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「3.11」 動揺する楽天ナインに、名将・星野仙一が放った “冷たい一言”の真相

喜瀬雅則(スポーツライター)

2021年03月11日 公開 2022年10月14日 更新

 

知り合いに電話をかけても…

あの日、平石は兵庫・明石で行われたロッテとのオープン戦に出場していた。地震の一報は、ベンチ裏の球団関係者から、試合中に伝えられたという。楽天はもちろん、ロッテの本拠地も千葉にある。

被害状況や家族の安否を確認するのが最優先だ。選手だって、気が気じゃない。試合どころではないはずだ。楽天の試合は、8回表で打ち切られることになった。平石が、ふと気になって連絡したのは、明石の試合に出場しないため、先に横浜へ移動することになっていた"先乗り組"の仲間たちだった。

「どこだろう、これ? まだ関西ですね。止まってしまいました」

彼らも、新幹線がストップしたことで、車内に缶詰め状態になっていたという。当時、平石の家族は関西で過ごしていた。オープン戦が終わる頃に仙台に戻って来るチームに合わせて、仙台に戻ってくるのが、毎年のスケジュールだったという。

だから、家族の無事ははっきりしていた。しかし、仙台の自宅がどうなっているかは分からない。仙台の知り合いに電話をかけても、全くつながらない。荷物をまとめた楽天の選手たちは、明石公園野球場から宿舎ホテルへ戻ることになった。

移動のバスの車内に設置されたテレビからは、津波の光景が映し出されている。誰もが、その衝撃の映像に見入っていた。そして、一言も発しようとしない。

「知り合いにも電話がつながらないから、何も分からなかったんです」

 

星野仙一流「帝王学」

迷いと不安を抱えたまま、横浜へと移動した平石は、選手会会長の嶋基宏(現東京ヤクルト)や、主将の鉄平(現東北楽天1軍打撃コーチ)らに声をかけ、先に宿舎に到着していた山崎ら、ベテラン選手も交えての"緊急会談"を行った。その後、チーム全体の意見集約のための全体ミーティングも開催された。

「こんなときに、野球をやっていられない」
「仙台に戻って、被災者の人たちのために何かできないのか?」

選手たちの総意は「とにかく仙台に戻る」というものだった。これに異を唱えたのが、監督の星野だった。

「お前ら、甘ったるいことを言うな。野球だけ、やっときゃええんや」

その非情な一喝に、選手たちから反発の声が上がった。

「そのときは、なんて冷たい人やと思ったんです、正直な気持ち。僕ら、野球どころじゃないだろうと。まともに生活できない人があれだけいる中で、なんて監督は冷たいんやと」

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星野の"真意"

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