社会的にも肉体的にも厳しい環境の中でも明るく生きている人がいる。逆に恵まれている環境の中でいつも自分の不幸を嘆いている人がいる。
早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏は、著書『悩まずにはいられない人』の中で、幸せになれるのに、あえて幸せにならない人について考える。
加藤氏は嘆いていることは心理的メリットがたくさんあると語るが、それはどういうことなのだろうか。同書より詳しく解説していく。
※本稿は、加藤諦三 著『悩まずにはいられない人』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
嘆いているほうが心理的に楽
なぜ悩み続けるのか?
それは問題の解決に努力するよりも、問題を嘆いているほうがはるかに心理的に楽だからである。
問題の解決に向かうためには、その人に自発性、能動性が必要である。しかし問題を嘆いているのには、自発性、能動性は必要ない。何よりも嘆いていることで退行欲求が満たされる。
問題を解決しようという態度は、成長動機からの態度である。
人が成長動機で行動するか、退行動機で行動するかという時に、退行動機で行動するほうがはるかに心理的には楽である。
だから人は嘆いているのである。解決する方法がないのではない。しかしそれよりも退行欲求にしたがって嘆いているほうが居心地良い。
悩んでいる人はだいたい退行欲求にしたがっているから、対処能力がない。いまの問題に対処すれば対処できる、解決できる。それなのに嘆いているだけで対処しない。
恋人や友人から「このようにして対処したら良いのではないか」という提案すら不愉快である。
嘆く人というのは、嘆くことで退行欲求を満たしているのである。嘆いている人自身、「嘆いていてもそんなことは何の解決にもならない」と分かっている。
しかし嘆いていることで、退行欲求が満たされているという心地良さはある。もちろん嘆いている人がそう意識しているわけではない。
したがって退行欲求が満たされて、成長欲求で行動している人にとっては、いつまでも嘆いている人の気持ちが理解できない。
心理的健康な人が、うつ病者を理解しにくいのはこの点にあるのだろう。うつ病の顕著な動機の特徴は退行的性質である。
うつ病になれば、この退行欲求とか依存性の問題はいよいよ深刻になる。
アメリカの精神科医アーロン・ベックは、うつ病者の動機の特徴として自殺願望などと同時に増大する依存性という表現をしている。
そしてこの増大する依存性はどこから来るのか。自分で自分の問題を解決できないと感じているからである。
「多くのうつ病者は自分を世話してくれ、自分の問題解決を助けてくれる人を、強く望んでいる」。
うつ病者の認識の特徴である低い自己評価と、動機の特徴である増大する依存性は深く関係している。
嘆いている人の心の底にはさまざまな心理が複合して働いている。つまり嘆いている人は、そう簡単に嘆くことをやめられない。
嘆いていることは心理的にいろいろなメリットがある。
低い自己評価を乗り越えることができれば、増大する依存性も解消できる可能性がある。
うつ病者の低い自己評価を克服することは、うつ病者の治療にはどうしても必要なことである。ただそう言われても、自己評価を上げることは難しい。
「つらい、つらい」「苦しい、苦しい」と嘆いていて、行動を起こさない人の心の底にも同じように低い自己評価と増大する依存性があるのだろう。
増大する依存性とは、いよいよ退行願望とか退行欲求とかが激しくなるということである。
つまり「嘆いていても、何の解決にもならない」というようなアドバイスはますます無意味になる。ますます相手を不愉快な気持ちに追い込む。
周囲の人はまず、いつも嘆いている人が「なぜ嘆いているのか」の心理を理解することが必要であろう。
退行動機で行動した人が、妨害されると深く傷つくだろう。
子どもが何かをした時に親は誇大に褒める。そこで子どもはそのように褒めてくれるだろうと期待してあることをした。ところがその褒め言葉がなかった。すると深く傷つく。
成長動機を持っているか、退行動機を持っているかで同じ物事は違って見える。子育ての苦労は、親が成長動機で子どもを世話しているか、退行動機で世話をしているかでまったく違ってくる。
アーロン・ベックは、積極的な動機の欠如は、うつ病の顕著な特徴であるという(註15)。小さな障害か大きな障害かは、その人の動機によって異なってくる。
成長動機で親切にした人と、欠乏動機で親切にした人とでは、相手が感謝をしなかった時の心理的反応は違う。成長動機で親切にした人は感謝されなくても不満にならないが、欠乏動機で親切にした人は、感謝されないと不満になる。
要するに、成長動機で動けば、苦しみは軽減するということである。つまり自分が変われば嘆き病は治るということである。