無気力は本当に自分のせい? なんとなく生きづらい人に欠如する「五感の働き」
「自分が」気持ちいいことをする
快適な気分を味わうことが、生き延びるために重要である。「あー、気持ちいい」という感覚が大切なのである。お風呂に入って、「あー、サッパリした」。
お風呂に入った子どもに、「あー、気持ちよかったね」と言ってくれる母親がいる。その母親と、「サッパリした」という自分の気持ちが呼応して、心が成長していく。うつ病になるような人は、着心地のいい服ともあまり関係なく生きてきた。今日もまた気持ちいいと思わないで着ている。
そうした中で今まで生きてきたとすれば、それはすごいエネルギーがあるということである。夏と冬の枕カバーを替える。夏は涼しい麻のカバー。そうした五感とふれ合いの中で共通感覚が生まれてくる。その共通感覚があるから、社会の中で生きていける。
執着性格者などは、おそらく小さい頃からこういう世話をしてもらっていない。こういう体験がない人が、大人になって訳がわからなくなっている。では、執着性格者が無気力になってしまったときはどうするか。
執着性格者は、朝起きて歯を磨くのも、磨くことになっているから磨く。「歯を磨いたら気持ちいいな」という理由では磨かない。軍隊で命じられていることをしているのと同じである。
「その人が歯を磨いている」という「その人」の部分がない。歯を磨くと「自分が」気持ちいいから歯を磨くということがない。小さなことだが、「気持ちいいな」と思えることを意識的に探し、気持ちいいと感じることである。
「お茶を飲む」ということでもよい。そんな簡単なことをしてみる。とにかく「自分が」気持ちいいと感じることをする。私という人間が求めたことをやる。だれにもわからないけれど、私が毎日続けていることでいい。「甘いものが好き」というのでよい。それを楽しむことである。
今日一日、オシャレをしてみる。そしてそれを続けてみる。エネルギーがないから疲れる。そのエネルギーをためるために「自分が」気持ちいいことをする。人が「これをするのがよい」と言うことをするのではない。自分の部屋に自分の好きなものを並べてみるのもいいだろう。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。