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無気力は本当に自分のせい? なんとなく生きづらい人に欠如する「五感の働き」

加藤諦三(早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員)

2022年02月07日 公開 2024年12月16日 更新

世俗の世の中に生きている以上、私たちは人と接することを避けられない。よいコミュニケーションは、よい人生につながるだろう。しかし、どうしても人と打ち解けられない人も存在する。

そうした人は無気力である。無気力な人は、幼い頃に五感の欲求が満たされた体験がないと加藤諦三氏は話す。人が生き延びるのに大切なのは、「気持ちいい」という感覚を味わうことだという。

※本稿は、加藤諦三著『だれとも打ち解けられない人』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。

 

五感が働かないと無気力になる

人間の基本的欲求の中には、大脳辺縁系の欲求が含まれる。いわゆる五感である。心地よい暖かさとか、爽やかさとか、おいしいとかいうことである。そうした五感の欲求が満たされるか満たされないかは大きい。

美しい音を体験する、美しい景色を体験する、そうした美的体験も心の安定には大切なことである。あるいは、楽しいことも大切である。小学校のときの遠足の楽しさとか、大人になってからのデートとか、楽しい体験も心理的安定や心理的成長に必要なことである。

「あー、あのときのお母さんの匂いだ」とか「あの家の畳の匂いだ」など、匂いから過去の記憶がよみがえることもある。そして「あー、あれを食べたいなー」と思い出す。そのような体験がないときに、人は無気力になるのではないか。

なぜなら、そうした思い出が、人と自分をつなぐものだからである。その思い出が人とのふれ合いである。そのふれ合いがエネルギーを生む。目隠しをされて匂いを嗅がされて「あの家の匂いだ」とわかる。目を閉じて「あ、これは故郷のあの家の匂いだ」とわかることが気力の源である。

目を閉じて「あ、これは中学生のときのあの家の匂いだ」とわかることが気力の源である。無気力な人には、自分が育った「あの家の匂い」がない。部屋には匂いがある。その匂いを嗅いで、人はほっとする。

ここに行ったらこの匂いがある。あそこに行けばあの匂いがある。こういう環境で人は心理的に成長する。それぞれの匂いを嗅いで、人はほっとする。それがない人は、エネルギッシュに見えても、エネルギーの源は強迫的名声追求にしかすぎない。

背広を並べて「これは父親の背広の匂いだ」というのが無気力な人にはない。無気力な人には「家の書斎にあったあの本の匂いだ」がない。極端にいえば、これがなければ生きていないのと同じようなものである。

そうした思い出の匂いがあってこそ、生きる力が湧き出てくる。この匂いを嗅ぐと父親を思い出すというのがあってエネルギーが出る。大人になって、そうした思い出が残るような環境で人は心理的に成長してきている。それがない人とある人の違いは大きい。

味覚のない人は、写真に写ったリンゴやケーキを食べていたようなものである。おいしい、まずいを感じるのは心であり舌の味ではない。舌から味覚の刺激が入るが、味わうのは脳である。味覚のない人は、写真に写った肉に醤油をかけて食べているようなものである。食べても胃がふくれただけ。

なぜこうなるのか?――それは恐怖の中で育っているから。見捨てられる不安や怒られる恐怖感の中で育っているから。たとえば、部屋に蛇がいたら、どんなにおいしいものを食べてもおいしいとは感じないだろう。

今一緒にいるだれかが、明日処刑されるとしたら、おいしい水を飲んでもおいしいとは感じない。そうなれば食べることは食欲を満たす、空腹を抑えるということでしかない。味はない。

そういった家で育てば、家族がいても家の中にはお人形さんが立っているだけ。そこにいるのは血が通っている人間ではない。恵まれた家で育つか、恵まれない家で育つかは、その人の運命。嘆いていても、何も事態は改善されない。嘆いていても幸せにはなれない。

自分がそうした家で育ったと自覚した人は、常に自分の五感を発達させることを心がける。いつも「これはおいしい」「これはまずい」ということを意識する。そして、おいしいものを食べる努力をする。おいしい物を味わうことは、仕事の業績を上げるのと同じくらい大切なこと。

うつ病になるような人にとっては、仕事以上に大切なこと。アイスクリームについているコーンの、パリパリという触感を楽しむ。おでん屋さんが店頭で、いい匂いを漂わせている。その匂いで人は入ってくる。匂いにつられてパン屋さんにも入っていく。食事に匂いがしなければ食べる気がしない。

 

おいしいものを食べる

十年ほど前、ある出版社の主催で脳の権威・久保田競先生と対談をした。そのときに先生は次のように言われた。

「五感はすべて脳を正常に働かせるのに大事な刺激を受け取るのです。ところが、外の世界を認識するために役立つだけでなく、感情とか性格をつくるのにもかかわってくるのですね」

脳が正常に働くということは、人間が正常ということでもある。五感から入る刺激が偏ってはいけない。仕事熱心な執着性格者には「味覚なんて」とバカにするような人もいるが、味覚もまた心のあり方に影響する。

ある有名大企業のエリート・ビジネスパーソンが、「お昼は社員食堂でカレーライスを三分で食べて仕事に戻る」と得意になって話していたが、部長にまで出世しながら早く死んでしまった。仕事に次ぐ仕事で、まさに「疲れても休みがとれない」エリート・ビジネスパーソンだった。

彼はおいしいものを食べに行く時間がもったいないと思ったのだろうが、それは違う。わかりやすくするために極端にいえば、おいしいものを食べに行く時間こそが、その人にとっては「生き延びるために重要な時間」だったのである。

彼が無駄と思っていた時間が、生き延びるために重要で、成果が上がったと思っている時間が逆に寿命を縮めていた。

ところで、思い出の匂いがなくても今まで生きてきたという人は沢山いる。それはすごいことなのである。まず、その自分の力を評価することを忘れてはいけない。それはとてつもない能力である。

自分の無気力の原因をハッキリさせることは、心を整理するということであり、それは「自分はダメだ」と思うことではない。思い出の匂いがないにもかかわらず、自分は今まで生きてきた。そうした自分を「すごいなー」と思うのが当たり前であろう。

それは、今元気で社会的に活躍している人よりもすごいことである。そして、それはまたものすごいエネルギーのいることだったのである。思い出の匂いがなくても自分は打ちのめされなかった。その自分に誇りを持つことである。

五感がない中で生きることがどれほどつらいことか、無気力な人は知っている。好きこのんで五感がない中で生きてきたわけではない。それが、神が自分に与えた運命だからである。今、無気力な自分は、決してもともとエネルギーのない自分ではない。そのことを忘れてはならない。

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「自分が」気持ちいいことをする

著者紹介

加藤諦三(かとう・たいぞう)

早稲田大学名誉教授、元ハーヴァード大学ライシャワー研究所客員研究員

1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。

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