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生き方

世界的美術家・篠田桃紅が思い起こす「明け方に飲んだコーヒーの味」

篠田桃紅(美術家)

2021年11月09日 公開

 

女学校時代の、何のこともないような記憶

クラス会などで、お友達から、あの時あなたがこうしたとか、こんなことを言ったとか、昔のことを言われるが、私はそう言われる自分のことを殆ど覚えていない。自分のことで、自分の覚えていないことを知っている人がいる、と思うのは、あんまりいい気持ちではないが、また、これは私だけが記憶していることと思うようなこともあるから、しかたがない。

女学校の時、私のクラスの人達は皆たいそうことばが良かった。というより一寸、大人びたことば遣いがはやっていた、という方が当たっている。「申し上げた」とか「なになにと存じます」などという人が多かった。

同じ学校で、三年上の私の姉のクラスでは、男の子みたいなことば遣いがはやっていて「スゲエ」とか「そういうものかねえ...」などとやっているのだった。母は、私達それぞれの遊びに来る友達のやりとりを聞いて、夕食の時などに、姉のクラスの方が気取らなくて好き、と言っていた。

姉も「アンタ達のはソラゾラしいよ」などという。私もそう思っていたので、極力男の子風をクラスに取り入れようとしたが、多勢に無勢であった。

家の近所に、二条さんという学校は別だが姉と同年輩の娘さんがいてよく一緒に遊んだ。彼女は「ウチはね、格式とユイショあるビンボーカゾクでねえ...」「学習院は月謝が安いからね...」という調子で姉とはウマがあった。

私がある時「学習院では運動会の時、駈けっこもあんまり早く走ってはいけないんでしょう? アカお勝ち遊ばせ、シロお勝ち遊ばせってやるんですってね」と聞くと「ウーン、そんなのもいるけど」と白い卵がたの顔をシカめてニヤッとわらった。「タラチネじゃあるまいしね」と言うと「ナニ? タラチネって」と彼女は俄然興味を示した。

家に落語全集があったので彼女に見せると、読み出すとたん笑い出し、畳にひっくりかえってよろこんでいる。母がオヤツかなにか持って入ってきたので、急いで起き上がった彼女が、手をついて母に「ごめん下さい」といったそのことばとかたちはとても美しかったことが、今も忘れられない。

彼女は落語全集を借りていって、しばらくたってそれを返しにきた時「学校へ持って行ったら皆が貸せというので、グルグル廻しているうちに先生に見付かっちゃった。あたしが一番叱られたのよ」といってほがらかに笑い、別のもう一冊を借りていった。

こんなまったく何のこともないようなことが、妙にはっきり思い出せるのはどういうわけなのか。特に悲しいこととか嬉しかったこととかいうのではなく、二条さんがお行儀わるそうで本当はよく、わるい時とよい時とがどちらも自然で、それが少女の心に叶うかたちであったので、記憶に残ったのか。

言葉遣いということで思い出す度に、その記憶自体も私の望ましい色合になってゆくのかもしれない。

 

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