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生き方

ようやく世界に認められたのに…日本人「花絵師」の挫折と決意

吉澤恵理(医療ジャーナリスト)

2022年01月11日 公開 2022年07月05日 更新

 2021年11月、芝浦のSOW CO.Galleryにて「花絵師 藤川靖彦×インフィオラータ 20年の軌跡展」が開かれた。インフィオラータは、花びらを使い地面に大きな絵を描くアートであり、イタリアやスペインを中心に世界各国で愛され、400年以上もの長い歴史ある文化である。

このインフィオラータを日本へ持ち込み、その素晴らしさを伝えたのが藤川靖彦氏である。藤川氏が作るインフィオラータは、ヨーロッパのみならず世界が認める存在である。

インフィオラータとの出会い

「若い頃は、イベントプロデュースを数多く手がけ、2001年に晴海の再開発をプロデュースしたのがインフィオラータと巡り合うきっかけでした。当時、古い公団住宅を取り壊し、高層マンションを作り、その地域一帯の再開発をすることになり、僕が広報プロデュースをしました。マンションが完成し、以前の住民が戻り、さらに新しい住人も増え、そこで新旧の人が一緒に作れるイベントを計画しました。その年、ちょうど日本では、イタリア年でした。そこで、晴海でもイタリアの文化を取り入れたイベントをしたいと考え、リサーチを行なっていたところインフィオラータを知りました」

インフィオラータを見たときに「これだ!」と思ったと当時を振り返る。

「イタリアのインフィオラータは、市民が参加して一緒に作りあげるアートだと知り、晴海にぴったりだと思いました。いても立ってもいられずにイタリアへ向かいました。イタリアで実際にインフィオラータを見て、さらに心が揺さぶられました。教会へと続く250mの坂道一面に描かれた花の絨毯は、まさに圧巻でした。『インフィオラータを日本でやりたい!』そう思いました」

そこからは、藤川氏ならではの行動力がものを言った。

「イタリアの市長と花絵師に会いに行きました。そしてインフィオラータを日本でやりたいという熱い気持ちを伝え、そこから現地の花絵師たちとも交流が始まり、晴海のイベントでインフィオラータを実現することができました」

それまで誰も見たことがない花が作り出すアートは、訪れた人に驚きと感動を与え、イベントは大成功だった。

最初は、インフィオラータを日本へ誘致したのが始まりだったが、いつの間にか藤川氏自身も花絵師として活動の場を広げていった。そして、花絵師としての藤川氏が考えたのはインフィオラータと日本文化との融合だった。 

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世界に認められた日本のインフィオラータ

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