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村井宮城県知事が語る"復興ビジョン" ― 「復旧」より「再構築」

村井嘉浩(宮城県知事)

2012年03月09日 公開 2021年08月19日 更新

宮城県では、震災から1ヶ月を経た4月11日に「宮城県震災復興基本方針」を示し、その後12名の有識者からなる「宮城県震災復興会議」を立ち上げた。

この会議は、5月から8月までの間に計4回開催され、県民から広く意見を聞くパブリックコメントも行おこなわれた。そして8月、震災復興計画の案を取りまとめ、県議会でも可決され、正式な計画になった。

今後は、この復興計画をベースに、3年ごとの実施計画を作る予定になっているという。復興にかける思いと、具体的な計画の骨子を村井知事の著書 『復興に命をかける』 から、ご紹介します。

※本稿は、村井嘉浩著『復興に命をかける』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

最も注力したのは住まいと仕事の確保

この復興計画を策定する上で私が最も注力したのは「住まい」と「仕事」についてです。

今回の大震災で全壊・半壊の家屋は22万棟あまりにのぼります。また、震災で失業した方は4万7000人、休業を余儀なくされた方は6万5000人、合わせて11万人以上の方が一時的にせよ生活の糧を失ったわけです。

住む場所が確保され、自分でお金を稼ぐことができるようになれば、厳しいながらも人は何とか生活できます。被災者の皆さんに、私の「富県宮城」の一翼を担っていただくためにも、まずは自立して生活できる環境を作りたいと考えました。

私のそうした思いを込めて策定した復興計画について述べてみたいと思います。

1.復興計画の基本的な考え方

・災害に強く安心して暮らせるまちづくり

1つ目は、同じような災害が起こっても犠牲者を出ないような、災害に強く安心して暮らせるまちづくりを目指すということです。

災害の歴史は必ず繰り返されます。今後千年以内に同じような地震・津波が起こることを前提に、私たちの子孫の命を守るための「災害に強く安心して暮らせるまちづくり」を進めるという強い意志を表しました。津波被害を受けた元の場所に住み続けたいという被災者の方もおられます。

しかし、私は知事として同様の災害があっても命だけは守れるまちづくりを妥協せず、何としても実現します。

・県民一人ひとりが復興の主体・総力を結集した復興

2つ目は、この復興の主体は県民や企業であるということです。

私が一番心配しているのは、この復興が国任せ、行政任せになり、被災者の皆さんや被災企業の主体性がなくなることです。

そこで、私たち行政は、被災者が自分の力で飛び立てるための滑走路を準備する役割だということを明言しました。意欲がなければいつまでたっても飛び立つことはできません。この悲惨な大震災からの復興には県民一人ひとりの意思と力が必要なのです。

・「復旧」にとどまらない抜本的な「再構築」

3つ目は、被災地の「復旧」にとどまらず、これからの県民生活のあり方を見据えて、各種施設の整備や配置などを抜本的に「再構築」し、最適な基盤づくりを図っていくということです。

先に述べたように、私は、兵庫県の貝原前知事のお話を聞いて10年後を見据えた復興をしなければ……と、意を強くしました。

元あった場所に元の施設を作り直すといった単なる復旧ではなく、抜本的な再構築、創造的な復興を目指さなければなりません。そのための法改正を粘り強く政府に要望し、復興特区のような思い切った制度改正を実現することができました。ボールは地方に投げられたわけです。

ぜひ有効に活用し、震災をバネに宮城県は大きく飛躍したといわれるような県土を創り上げていきます。

・現代社会の課題を解決する先進的な地域づくり

4つ目は、人口の減少や少子高齢化、環境保全、自然との共生など、現代社会や地域を取り巻く諸課題を解決するような先進的な地域を創りあげるということです。

すでに出来上がった街に手を加えることは、なかなかできません。津波で被害を受けた地域は壊滅的であった分、全く新しいコンセプトでまちづくりをすることができます。お亡くなりになった御霊(みたま)に報いるためにも、将来に語り継がれるような先進的な地域づくりをします。

・壊滅的な被害からの復興モデルの構築

そして最後の5つ目は、壊滅的な被害からの復興モデルを構築するということです。

今回の大震災は戦後の日本が経験したことのない大きな被害でした。ここから立ち直ることができれば、1つの先進的な復興モデルを全世界に示すことができます。そのことが自信を失っている日本人の誇りにつながることにもなるでしょう。複興した暁には全世界から多くの方が視察に訪れるような地域にします。

2.計画期間

計画期間は10年間としました。そのうち、最初の3年間を復旧期、次の4年間を再生期、最後の3年間を発展期と位置づけています。

災害廃棄物の処理だけでも3年はかかる見込みですので、最低限のインフラの復旧には3年かかるとみています。そして、宮城が元気になるための種をまく4年間の再生期、最後に宮城を大きく発展させる3年間と考えています。

もちろん、1日でも早く事業を前倒しできるよう最善の努力をすることは言うまでもありません。

3.復興のポイント

いくら立派な病院や学校を建設しても、そこに住む人がいなくなってしまえば何の意味もありません。

今回の被災地は、震災前から人口減少が進んでいる地域です。先に述べたように、今回の復興の最大の狙いは、「住まい」と「仕事」だと考えています。

少しでも人口の流出を防ぐためにも、まずは「住まい」と「仕事」の確保を図らなければなりません。その上で、住む場所を勘案した安心できる福祉や教育といったものを検討する必要があります。

私はそうした考えのもとで、震災復興計画に10項目の復興のポイントを掲げました。

(ここでは、項目のみを紹介します。詳しくは本書をご覧ください:WEB編集担当)

[復興のポイント1]災害に強いまちづくり

[復興のポイント2]水産県みやぎの復興

[復興のポイント3]先進的な農業の構築

[復興のポイント4]ものづくりの早期復興による「富県宮城の実現」

[復興のポイント5]多様な魅力を持つみやぎの観光の再生

[復興のポイント6]地域を包括する保健・医療・福祉の再構築

[復興のポイント7]再生可能なエネルギーを活用したエコタウンの形成

[復興のポイント8]津波災害に強い県土づくりの推進

[復興のポイント9]未来を担う人材の育成

[復興のポイント10]復興に必要な規制線和

 

 村井嘉浩 

(むらい・よしひろ)  

宮城県知事

1960年、大阪府豊中市生まれ。1984年防衛大学校(理工学専攻)を卒業し、陸上自衛官に任官。陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)及び自衛隊宮城地方連絡部募集課にて勤務。1992年自衛隊退職後に財団法人松下政経塾(第13期)に入塾。1995年宮城県議会議員に当選。2005年まで宮城県議会議月を3期勤め、同年宮城県知事選挙に出馬し当選。現在2期日。趣味は茶道(茶名:宗浩)。座右の銘は「天命に従って人事を尽くす」。

 

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