なぜ人は自由から逃げたがるのか
困難は嫌だ。失敗は嫌だ。
成長することを拒否している人は、必ずそう思っている。
困難は必ず成長とセットでやってくる。そこから逃げることは、成長しない道を選ぶのと同じである。
自由は人を解放したが、救済はしない。自由には責任がともなう。
だから人は自由から逃げる、逃走する。レジリエント・パーソナリティーの人は、その自由から逃走しない。
喜びと困難がセットになっているのは当たり前のことと知っている。
「成長には不安と混乱がともなう」とアメリカの心理学者ロロ・メイはいう。レジリエンスのある人は、そのことを心得ている。
同じ種類の失敗を繰り返す人がいる。パターン化した困難は、その人の弱点を教えている。
たとえば、アルコール依存症の夫の妻がその例である。もうアルコール依存症の男は嫌だと離婚しておきながら、また別のアルコール依存症の男と再婚する。
パターン化した困難は、その人が心に深刻な問題を抱えていると教えている。
しかし、困難が教えてくれることに耳を貸さない人が多い。だからいつまでたっても同種類の困難は続く。
レジリエンスのある人は体験から学ぶ。
社会の中での自分の位置を理解した方が得をする
レジリエンスのある人は、自己中心的ではない。
自己中心的とは、人が自分のために存在していると思っていることである。
自己中心的な人は、人間にそんなこと求めても無理というようなことを身近な人に求める。つまり神経症的要求をするのである。
神経症的要求とは、精神分析家のカレン・ホルナイによれば、それにふさわしい努力をしないで、それを求めることである。
神経症的要求を持つ人は人間関係が悪化していく。
レジリエンスのある人は、社会の中で自分の位置を知っている人。だからエネルギーの使い方が効率的である。
自分の位置を知っているから、人からの思いやりを得られる。人からの好意を得られる。
人間関係がスムーズに行く。望ましい人間環境が次々に出来る。
レジリエンスのある人は、自分の立場が分かっている。
たとえば、忙しい人に3分会えたとする。その時に、こんなに長い時間を会ってくれたと思って感謝をする。自分と相手とでは、時間の価値が違うということが分かっている。
逆に、神経症の人は立場が分かっていない。自分のいる場所を間違えている。
自分のいる場所を間違えていない人は、そこで人間関係が出来てくる。しかし自分のいる場所を間違えている人は、そこで持続的な人間関係を形成できない。
精神科医のフロム=ライヒマンがいう「対象無差別に愛情を求めること」の逆がレジリエンスである。
同じ体験をしても、レジリエンスのある人は「一生かかっても恩を返しきれない」と思う。その感謝の気持ちで幸せになれる。
「あの人がこんなことをしてくれた」と感謝する。
あの人と自分との関係が分かっている。
あの人は自分の母親ではない。その母親でない人が「こんなことをしてくれた」と感謝する。
同じ体験をしても、レジリエンスのない人は、「バカにされて悔しい、殺してやりたい」というほどの恨みを感じる。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。