左股関節唇損傷で欠場していたプロレスラーの武藤敬司(プロレスリング・ノア)が5月に復帰した。武藤がリングに戻ってくるということは、もうひとつの顔である"悪の化身"グレート・ムタも復活するのか?そもそも米国メジャー団体WCWで活躍していたグレート・ムタは、どういう経緯で日本マットに出現したのか?新日本プロレス時代の秘話をムタの代理人・武藤が明かす。
※本稿は、武藤敬司著『グレート・ムタ伝』(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
“悪の化身”グレート・ムタ、日本デビューの舞台裏
俺がアメリカから帰国したのは、1990年の春だった。当たり前だけど、帰国した当初はグレート・ムタを日本でやるつもりなんて毛頭なかったよ。
基本的に武藤敬司とWCWでのグレート・ムタのファイトスタイルは変わらない。アメリカには武藤敬司は存在しないからね。大きな違いは、見かけだけなんだ。
俺の中では、武藤敬司=グレート・ムタだったから、日本では素顔の武藤敬司として勝負しようと思っていたし、ムタになる必要性はないと思っていた。
それが会社の方から、この年の9月シリーズでムタをやるように言われたんだ。会社から言われれば、やるしかねえよな。そこは団体に所属する選手の宿命ってやつだよ。だから、最初のムタになったのは俺自身の意思というより、半ば強制的なものだった。
ムタの日本デビュー戦は『エクスプロージョン・ツアー』の開幕戦となった9月7日の大阪府立体育会館大会で、相手はサムライ・シローに決まった。
サムライ・シローとはご存知、越中詩郎さんのことだよ。ムタの登場に合わせて、越中さんもメキシコで武者修行をしていた時代のキャラクターに変身させられたというわけだ。
どうしてムタの初戦の相手が越中さんだったのかと聞かれても、その理由は知らない。察するに俺と同じくらいの世代の選手で、しかもムタと同じような海外独自のキャラクターを持っていたからだろうな。その程度のことで、会社も適当にカードを決めていたと思うよ。
不満足な出来だったサムライ・シロー戦
このサムライ・シロー戦については、結論を言ってしまうと不満足な出来だった。ムタと武藤の違いなんて見かけ以外はほとんどないし、今のように毒霧をフィニッシュに組み込むような使い方も、この試合ではしていないからな。
結局、「ペイントしただけの武藤敬司の試合」なんだよ。客も期待外れだったと思う。ちなみに、この試合はノーテレビだから会場で見た人は貴重な経験だよ。
相手のサムライ・シローなるキャラクターだって、当時のファンはどんなものなのか、よくわかっていなかっただろうね。今みたいに海外の情報が広く出回る時代じゃないからな。俺に言わせりゃ、これじゃ試合を楽しみようがないよ。
俺としても、会社が何を求めていたか理解できていなかった。まあ、会社の方も、これまた何も考えていなかったと思う。目新しいカードを組んで、集客に繋がればいいというだけで、それ以外の思惑はなかったはずだよ。
当時の新日本プロレスという会社はレスラーに対して注文はしてくるけど、基本的には投げっぱなしだからな。「このカードでやってくれ」と言われても、責任を取るのはこっちだよ。
「なぜこの試合をしなければならないのか?」といった理由を自分なりに噛み砕いて、リング上で見せなきゃいけない。
アメリカのプロレス団体は、このレスラーをスターにしようと決めたら、それに合わせてストーリーに乗せていく。でも、当時の新日本は成り行き任せだよ。
会社の力でスター街道に乗せようとするレスラーなんて、ほんの一握り。そこに乗れるか、乗れないかはレスラーの実力次第なんだろうけど、その辺はアメリカと日本の違いを感じたな。