泳げない主人公役ジャンを説得し...名作『グラン・ブルー』苦難続きの撮影秘話
2022年06月25日 公開 2024年12月16日 更新
どこまでも青い深海とダイバーたちの生きざまが、観る者を惹きつけてやまない『グラン・ブルー』。しかしその映像美を実現するには、まさに命がけの試練がリュック・ベッソンと俳優陣を待ち受けていた。
ジャン・レノはまったく泳げず、ときには氷点下で水中撮影を敢行、ベッソンみずから危険な深海へ潜る事態も――。知られざる撮影の過酷な裏側に迫る。
※本稿は、リュック・ベッソン著『恐るべき子ども リュック・ベッソン「グラン・ブルー」までの物語』(&books/辰巳出版)を一部抜粋・編集したものです。
泳げないジャン・レノがダイバーになるまで
ジャンにはエンゾというフリーダイバーの役をやってもらうつもりでいた。はまり役だと思うが、まずは水に対する適性を確かめる必要がある。
最初のテストの結果はさんざんで、ジャンはカナヅチに近かった。あと一年でジャンをダイバーに仕立て上げなければならない。
船旅の間、毎日のようにダイビングをするうちにジャンはだんだんと海の男の体つきになっていったが、それでもアンダルシアの雄牛のような体軀を魚のような流線形に変えるのは容易なことではなかった。
「リュック、脚本を読み直してみたんだ。まったくきみはどうかしているよ、こんな映画を作ろうなんて!できっこないよ。水中でベン・ハーをやるようなものじゃないか!スケールが大きすぎて、自分にはとうてい無理だ!」
ジャンは白旗を上げようとしていた。怖くてたまらないのだ。だが、ジャンにも壁を乗り越えてもらわなくては。
「どうすればいい?リュック、どうすればいいんだよ!」ジャンは半狂乱になっていた。このままではまずい。
「ジャン、ショット一つならいけそうかい?」
「なんだって?」
「ショットだよ!『用意!』でカメラが回り出して『アクション!』で始まって『カット!』がかかるまでだよ!」
「ああ、一つならできる」
「だったら、まずはショットを一つ撮ろう。それから、また一つ撮る。きみはどうすればいいのかと訊いたね。それに対する答えは...ショットを一つずつ撮っていけばいい!」
「うん...そんなふうに考えれば...できそうかな」とジャンは言った。
その晩、ぼくはジャンとジャン=マルクをロケ地のコート・ダジュールのル・ラヴァンドゥへ連れていこうと決めた。2人には一日中海と向き合っていてほしかった。海が2人に語りかけ、2人の不安を解くことを、二人が海に親しむことを望んだのだ。
ぼくたちは日に6時間以上は水のなかに入っていた。3週間のトレーニングで、ジャンは素潜りで40メートル潜り、3分以上息を止めていられるようになった。
ジャン・レノはエンゾ・モリナーリとなり、海はジャンの生涯の友となった。
12日間収穫ゼロ...荒れる海と難航する撮影
映画はカンヌ映画祭開催中の5月11日にクランクイン。水中撮影用のカメラは2台のうち1台しか準備できていない。しかもビデオモニターが使えないときた。
そこで、プレキシガラス製のファインダーを取りつけ、ファインダー上の十字の印を頼りに見当をつけて撮影対象をフレームに収めることになった。
初日は海がやや荒れていた。撮影スタッフの半分がすでに船酔い状態で、残りのメンバーで水中の作業に取りかかるも、現場は悪夢を見るようだった。連中がデッキに放置しておいた道具類が、船が揺れたとたんに滑り落ちて海の底へと沈んでいく。
チームの足並みが揃うまでに3日かかり、ぼくたちはようやく最初のシーンの撮影に取りかかった。
あいにく撮影フィルムはパリに送らないと現像できず、ラッシュを確認するのは3日後になった。上がってきたラッシュを見ると、画面のジャック・マイヨールは頭部が切れ、フィンの下にはたっぷりとブルーの余白がある。
フレームの位置が下すぎたのだ。その状態で3日間撮影を続けていたわけだ。そこで、上方に照準を合わせてフレームの位置を修正した。はたして3日後の結果はというと、今度は頭の上にブルーの空間が広がり、フィンが切れているではないか!結局、フレームにきちんと対象が収まるまでに12日を要した。
つまり、12日間の撮影で使えそうな映像は1秒たりとも撮れなかったのだ。海の映画は当たらないと言われている。ここは何としても価値のある映像を撮らなくてはいけない。さもないと、制作を打ち切られてしまう。
悪天候にもかかわらず撮影は再開された。曇天を避けて撮影はすべて夜間におこなわれた。水深80メートルを超えるともはや光はない。だから、80メートル以上の深さで展開される水中シーンを、すべて水深30メートルで夜間に撮影することにした。