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泳げない主人公役ジャンを説得し...名作『グラン・ブルー』苦難続きの撮影秘話

リュック・ベッソン(著)、大林薫(監訳)

2022年06月25日 公開 2024年12月16日 更新

 

無酸素で取り残された水深50m...ベッソンを襲った撮影トラブル

錘(おもり)がケーブルを伝って滑り下りていくきれいな音がほしいと録音技師に言われた。完璧な音を録るためには、水中には錘に引かれて降下する素潜りの人間だけで、安全要員のダイバーは一人もいないようにしなくてはならない。

とはいえ、安全要員なしでジャン=マルクやジャンを潜らせるわけにはいかず、そこでぼくが志願した。ケーブルは50メートルの深さまで伸びている。

ぼくはフィンを水中に揺らめかせながら、素潜りのために呼吸を整えた。両手は錘をつかんでいる。小道具係のリシーがケーブルを引くと、錘はまっすぐ海のなかへ消えた。

ぼくはケーブルに沿って、果てしないブルーの世界へ下りていった。聞こえるのは錘の滑る音だけだ。1分後には水深50メートルに達した。ぼくはケーブルをいっぱいに張って軋ませた、独特な音がするからだ。ぼくはその数秒間の、果てしない広がりと平穏と絶対の世界を楽しんだ。

だが、ほどほどのところでとどめた。ぼくの周囲には何の安全設備もないからだ。ぼくは錘についた握りをつかみ、レバーを回した。これでパラシュートと呼ばれる風船(バルーン)が膨らむはずだ。プシュと情けない音がする。圧縮空気のボンベは空だった。

ぼくはたちまちパニックに襲われた。ケーブルをつかみフィンを使って、大急ぎで上昇した。体内の酸素が急速に使われていく。このペースでは水面に出るまで持たないだろう。そう考えて平静を取り戻し、筋肉の緊張を解き、ウェットスーツの浮力でゆっくりと上昇するのに任せた。

ぼくは水面に出て、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。酸素不足で目眩がして、回復するまで何秒かかかった。

「すごい、3分10秒だよ!」笑顔でリシーが叫んだ。

「リシー...圧縮空気のボンベが空だったよ」ぼくは喘ぎながら答えた。

リシーの顔から血の気が失せた。今度はリシーが気絶寸前になる番だった。

録音技師はぼくが録ってきたばかりの音を聴いて大喜びしていた。よかった。この音は潜水シーンのすべてで使うことにしよう。

 

零下10度の水中で3度の取り直し...限界まで妥協しない命がけの水中撮影

続いての目的地はアルプスのティーニュ。

気温の落差は半端じゃない。零下10度で、町は2メートルの雪に埋まっていた。ぼくたちはモルディヴの丸木船をスキー場整備の雪上車に代えて、町を見下ろす小さな湖へ機材を運び上げた。

そこに美術主任は小屋をいくつか建て、ペルーのトーテム像を据えた。ここでジャック・マイヨールは氷の下の潜水をする。

本物のジャック・マイヨールは実際にペルーの氷の下で潜水している。撮影だけでも並大抵の苦労でなかったことを考えると、本物の潜水を実行するために、マイヨールはそうとう苦労したに違いない。

水中のカットは近くにある大きな湖で撮影された。まずはチェーンソーを使って氷に2つ穴を穿った。その一つからジャン=マルクが入り、氷の下を30秒間潜行して、もう一つの穴から出てくることになる。

ジャン=マルクの体に分厚くオイルが塗りたくられ、潜水服が着せられた。水温は1度。ジャン=マルクは精神を集中する。ぼくはカメラを持ち、氷の下に潜って位置についた。

カメラが回り出す。ジャン=マルクが氷の下の凍えるような水のなかへ下りてきた。

ぼくはカメラで追いかける。ジャン=マルクはさりげなくエレガントで、鏡を撫でるように氷の天井に触れる。美しいショットだが、動きが速すぎる。ぼくはもうワンテイクの指示をした。ジャン=マルクはもう少し時間をかけて氷の下を進む。

だが、ぼくは3度目のテイクを要求した。さらにもっとゆっくりと、もっと官能的に、まるで温水のなかを進んでいるようにしてほしい。

ジャン=マルクが3度目のテイクに臨む。優美で洗練されたショットになった。それでも万が一のため、ぼくはもう一度撮りたかった。しかし、穴に近づいてみると、ジャン=マルクは両足を穴に入れたまま震えていた。顔面は蒼白で唇は紫だ。目さえ白くなりかけていた。

「いまのは最高だった!今日の撮影は終わりだ!」ぼくは笑顔で言った。

ジャン=マルクの瞳に深い安堵の色が現れた。同時に、衣装係が山ほどの毛布を肩へ投げかけた。この撮影でぼくが妥協したのはこのときだけだった。

 

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