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年収1000万を捨て地方移住...コロナ禍でむしろ増えた“人生の選択肢”

吉澤恵理(医療ジャーナリスト)

2022年07月01日 公開 2024年12月16日 更新

2020年、新型コロナウイルス感染拡大によって外出自粛などの行動規制が実施され、それを受け、多くの業種でテレワークが導入された。

コロナ以前は、昼夜問わず会社のために忠誠を尽くしていた企業戦士の中には、皮肉にもコロナのテレワークによって時間に余裕ができ、立ち止まって、それまでの人生を見つめ直す転機になったという人もいる。コロナ禍に広島に移住した岡本修さん(31歳)もその一人だ。コロナ禍に見つけた本来の自分の夢を実現し、新たなスタートを切った体験を聞いた。

 

ビジネスマン時代には20連勤も

大阪で生まれ育った岡本さんは、英語が好きだったため、高校、大学時代に留学し、英語力に磨きをかけた。さらにスウェーデンに住んだ経験もあり、スウェーデン語のスキルは英語と同等だ。大学卒業後は博士課程まで進み、その後は、自動車部品メーカーに勤務、得意の語学を活かし、海外営業の部署に就いた。

「ダイムラーやBMWなどの海外大手車メーカーに車の部品を営業・販売する仕事でした。海外と日本の時差のため、夜間に海外と商談し、日中も会社で業務をこなすということから長時間勤務となることも多く、ハードな仕事ではありました」

子供の頃から車が好きだったこともあり、仕事に熱心に取り組んでいた。しかし、ある日、忙しい日々に違和感を感じた。

「仕事に追われているうちに20連勤していた時があり、『僕のプライベートがない』とふと我に返りました。当時、結婚も考えていたこともあり、自分の時間を持ちたいと考え、転職をしました」

スキルや経験がある岡本さんは、複数の会社からオファーがあり、防衛関連の仕事を請け負う会社に転職した。

「転職した会社では、労基に添った勤務時間で、定時に終業できるので自分の時間ができました。ようやく自分の時間ができホッとしていたところ、コロナの感染拡大が始まりました。防衛省からの仕事をしている会社だったこともあり、国の方針に従い、早くからリモートワークが導入されました」

しかし、岡本さんの場合、仕事には機密事項があり、リモートワークには制限があった。

「リモートワークでは、機密事項が漏洩するリスクがあり、自宅勤務とは名ばかりで、実際には、家でできる仕事は限られていました。それでも給与は保証されていたので良い会社だったと思います」

当時の年収は1000万円を超えており、多くの人が羨むような待遇にあった岡本さんだが、リモートワーク中の2020年11月、あっさりと仕事を辞めた。その理由は、家族との時間だった。

 

テレワークでできた自分の時間

「会社員時代には、自分の時間や家族と過ごす時間もないことが当たり前でしたが、コロナ禍で時間ができたことで自分にとってのプライオリティがはっきりしました。会社で働くために大学に行ったわけでもないし、家族との時間を犠牲にして、このまま会社員として働くのは、僕が望むことではないと感じました」

岡本さんの決断に妻も家族も反対しなかった。そんな家族との時間を優先しながら、始めたのがブログだ。

「以前から、ブログを書いてみたいと思っていたので、ホームページの作成から挑戦することにしました。そして、パソコンとインターネットがあれば、好きなことができると感じ、フリーランスとしてライターの仕事を始めることにしました」

フリーランスとなった以上、仕事を自分で探す必要があり、そこでクラウドソーシングを利用した。

「僕が得意とする車に関する専門的な知識が必要とされる記事は需要があり、クラウドソーシングで依頼を多くいただき、とんとん拍子に仕事が増えていきました。また、住宅関連の知識もあり、さらに仕事の幅を広げることができました」

フリーランスとして活動し、あっという間に1年が過ぎた。その間、仕事が仕事を生み、業績は順調に伸びていった。

「ホームページのコンテンツとしてコラムの作成を行う際、ホームページを見ると、かなり昔に作成されたホームページのままという会社が多く、話している中でホームページ制作も依頼いただくようになりました。依頼の数は想像よりも多く、これなら法人化できると思い、2022年1月に法人化しました」

法人化しさらにビジネスを広げていくという志しとともに、フリーランスを応援したいという気持ちがある。

「私自身の経験から、フリーランスというと社会的地位が確立されていないということを感じました。しかし、フリーランスで頑張っている人はたくさんいるので、そういったところを底上げできるようにサポートできる存在となれたらと思っています」

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即決した広島への地方移住

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