なぜ、ものが立体的に見えるのか?
【野村】そういえば、両目を寄り目にすると、立体的に見える画像がありますね。あれは、右目で見えているものと左目で見えているものが、微妙にずれているからそう見えるのですか。
【乾】その通りです。ずれが頭の中で計算されて立体的に見えるのです。それでいうと近くにあるもののほうが、右目で見るときと左目で見るときのずれは大きく、遠くのものはほとんどずれていません。そうした画像は脳が推論をして、立体感を出しているんです。
【深井】たしかに、遠くの風景は2Dっぽく見えますよね。
【乾】眼科の先生たちと共同で研究を進めると、遠くの景色は左右どちらかの目だけで見ることが多いとわかってきました。見るほうの目は「利き目」といわれ、それが左右どちらなのかは人によって異なります。
【野村】両目で見ているように思いますが、実際は休んでいるわけですか。
【乾】遠くを見る場合はそうです。反対に、針に糸を通すとか、バットにボールを当てるなど近いところでの作業は、両目を使わないとうまくいきません。
それとは別に、片目でものを見たときに感じる立体感を「単眼立体視」といいます。
【野村】そういう概念もあるのですね。
【乾】たとえば、写真は平面の紙に像が印刷されたものですが、ある程度、立体的に感じることができますよね。風景画なども、遠近法を利用して立体感を出すことがあります。
これはどちらの目で見ても同じなので、両目ではなく、片目で知覚しているともいえます。しかし脳のある部分に障害があると、写真や風景画の立体感が理解できないことがあります。
この部分に障害を持ったある人は、平面に映像が映し出されるテレビを見ても、内容が理解できないと言っていました。また、数学の授業で立方体の図を描いても、どの面が手前なのかわからないので、「こちらが手前でこちらが後ろだ」と、知識として覚えたそうです。
それでも、車を運転することはできるんです。
【野村】運転するのは3D空間だから。
【乾】こんなふうに、私たちが当たり前だと思って見ている世界は、あらゆる働きがうまく協調することで、作られているんです。
体の不調も脳が推論している
【深井】脳が推論する働きは、ものを見るだけではなくて、感情にも関係しているそうですね。
【乾】そうなんです。日常生活では一口に感情といいますが、研究では「感情」と「情動」に分けています。英語では感情はfeelingやaffect、情動はemotionといいます。
【野村】微妙に違うんですか。
【乾】ええ。情動(emotion)とは、外の刺激や、何らかの記憶を思い出すことで生理的な反応が起こることだと定義しています。ドキドキするとか、体温、血圧が上がるといった反応です。
そして感情(feeling)とは、情動の発生にともなって生じる、主観的な意識体験だとされています。たとえば息苦しさや、汗をかくという生理的な反応によって、悲しい、怒り、恐れなどの感情が生まれます。
生理的な反応である情動がもとになって感情が起こるのですから、感情の大部分は、自分の体の状態が関わっているといえます。
【深井】はい。すごくわかりやすいです。
【乾】ところで私たちは、おなかが痛くなったり胃の調子が悪くなったりしますね。先ほど、ものが見えるのは、網膜像から外界の状態や構造を脳が推論することだと言いました。胃が痛いのもそれと同じで、脳が推論しているんです。
【野村】そうなんですか。
【乾】眼球が網膜像を作り、その情報を脳に伝えるのと同じように、胃は脳に胃の生理的状態を表す信号を送ります。それをもとにして、脳は胃の状態を推論するのです。別に胃そのものが「痛い」と思っているわけじゃないですから。
【深井】目で見える体の外の環境も、体の中の環境も、脳がその状態を推論しているということですね。
【乾】網膜像を脳に伝える神経は感覚神経ですが、内臓から脳に信号を送るのは自律神経です。つまり私たちは、自律神経を通して体の状態を推論している。また一方で、脳は内臓につながる自律神経によって、体の状態をコントロールします。
【野村】自律神経は、体のサインを受け取ることと、サインを反映した脳からの命令を体に送ることの両方を担っているんですね。
【乾】ええ。人間は恒温動物です。外がかなり寒くなっても、体温は約36度と一定に保たれます。それは体内に、体の状態が一定になるような制御機構があるからです。
ただ一定といっても、感情などによって体温や血圧、心拍数はわずかに上下します。たとえば、突然「みんなの前で自己紹介してください」と言うと、心拍数が上がってドキドキしますよね。
これは脳が自律神経を通して、心臓に心拍数を上げるよう信号を送っているんです。なぜドキドキさせるかというと、これから起きる状態に前もって体を合わせるためです。
たとえば私たちの体は、朝起きるときに血圧を上げます。そうしないと倒れてしまうからです。起床時に立ちくらみや倦怠感をともなう起立性調節障害がありますが、これは自律神経による血圧コントロールがうまくいっていないんです。
このように、私たちは体の中のことを推論し、その推論した結果をもとに、体を動かしているのです。