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反田恭平「将来的には音楽の学校を作りたい」

反田恭平(ピアニスト)

2022年08月02日 公開 2024年12月16日 更新

2021年、ショパンコンクールで日本人として2人目となる最高位2位入賞を果たしたピアニストの反田恭平さんに音楽を始めたきっかけ、今後の展望をお聞きました。(取材・文:編集部 写真:吉田亮人)

※本稿は、月刊誌『PHP』2022年4月号掲載記事を転載したものです。

 

サッカーはあきらめたけど、ピアノはあきらめたくない

よちよち歩きのころからサッカーが好きで、名古屋のチームに入っていました。ピアノを始めたのは4歳のとき。当時住んでいた社宅の、いわゆるママ友のつながりで、ヤマハ音楽教室で習いはじめました。といっても、鍵盤を触ると音が出るというのを知り、音を聞く練習、音に耳を慣らす訓練という感じでした。

半年後に引っ越した東京で、一音会というミュージックスクールに入りました。オペレッタがメインでピアノは少しでしたが、そこでさまざまな作品に触れました。目立つことが好きだったので、オーディションで役を勝ち取って歌って踊っていました。でもあくまで趣味のレベルでした。

11歳のときに試合でけがをして、ずっと続けていたサッカーをやめました。ただ、うすうす「日本代表にはなれないな」と思ってはいた。そのレベルの子がまわりにいたから、なんとなくわかるんですよね。

同じ年に桐朋学園の音楽教室に入って本格的にピアノを始めました。そこで現実を知るわけですね。うまい子だらけ。1学年に成績のいい子だけが100人いるという感じです。

ホールで演奏できるのは、その中でも特に選りすぐりの3人程度、その中に今回ショパンコンクールに一緒に出場した小林愛実さんがいました。僕の1歳下の彼女は当時もうカーネギーホールで演奏しているような子だったから、「本物がいる!」という感じでした。僕はそれを客席で見ている側。

くやしいという気持ちはあまりなかったんです。なぜなら、すぐに追いつかなくても、いつかは自分もそこへ行けるという、何の根拠もないですが、よくわからない自信がありました。

サッカーはあきらめたけど、2回もあきらめることはできないという気持ちがどこかにあって、ピアノを一生懸命やりはじめました。弾くと小学校の友達が喜んでくれるのがうれしかったですね。ドビュッシーの名前なんて知らない子が「またあの曲弾いてよ」って言ってくれたり。

 

クラシック音楽のかっこよさを知り、ピアノにのめりこむ

夏休みには指揮者のためのワークショップに参加して、最終回に運よくオーケストラを振ることができたんです。そのとき初めてクラシック音楽がかっこいいと思えました。

指揮台に立ってパッと振ったら大人たちが一斉に演奏して、風みたいなものが巻き起こる。こんなにかっこいい世界があるんだってそのとき初めて知りました。クラシック音楽全体が好きになった瞬間でしたね。

それが僕のターニングポイントで、「プロとして生きてる人たちがいるんだな」という認識も生まれました。それまでは、ショパンの幻想即興曲が弾けて、エチュードが弾けるようになれば──要は音数が多くて難しい曲が演奏できればプロのピアニストだと思っていました。

でも、思春期とともに、音楽的な表現、内面性というものを知るようになってくるわけです。ショパンやモーツァルトを演奏しながら、「この曲はもしかして恋人を思って書いているのかな」とか「これは失恋したときの気持ちなのかな」とか、そんな奥深さにのめりこんでいきました。

4歳で最初に習った先生が「好きな曲を好きなように弾いて聞かせて」と、とっても優しかったんです。こう弾いちゃダメというようなことは一切言わなかった。それで挫折してピアノが嫌いになってしまう人も多いようなので、僕は恵まれていたと思います。

そうやって好きな曲だけを弾いて個性をめいっぱい伸ばしてもらえたのですが、家がすごく厳しかった。練習は1日3時間。門限が5時半なうえに、8時半までしか練習させてもらえませんでした。近所迷惑だというのが理由です。なので、いかに効率よく練習するかを考えるようになりました。

たとえば最初の20分は指慣らしでこの曲をやって、3曲譜読みをする。3曲合わせて1時間としたら、2回弾いたらもう時間が来るので、学校にいるあいだに楽譜を読んでおく、とかね。さっきも話した幼少期の先生のおかげで、毎週好きな曲を弾くために初見で譜読みする能力が身についていました。

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奈良から世界へ、クラシック音楽を発信する

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