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生き方

神がいるのに不条理だらけ...それでも「宗教が必要」な理由

片柳弘史(カトリック司祭)

2022年09月01日 公開

 

「なぜわたしをお見捨てになったのですか」

【学生】なるほど。いや、あなたをいじめようと思ってこんな質問をしたわけではなく、もしキリスト教に苦しみを乗り越えるためのよい方法があるなら、ぼくもそれを知りたいというのが本音です。

【神父】不条理について問うあなたの質問は、本当によい質問だと思います。イエス・キリストご自身、十字架の苦しみを味わう中で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫んだと聖書に記されています。

イエス自身、現実世界の不条理を味わい、その不条理の中で神にこう問わざるをえなかったのです。

「あんなに頑張ったのに、どうしてこうなるんだ」「神がいるなら、なぜこんな苦しみがあるんだ」という問いは、神を信じて生きる人が、決して避けて通れない疑問。イエスでさえ問わざるをえなかった疑問なのです。

 

死を越えた命への希望

【学生】神は、その問いかけにどう答えたのですか。

【神父】イエスの問いに対して、神が直接答えたという記述は、残念ながら聖書にはありません。ただ、イエスが復活したという事実が語られているだけです。

イエスの死は、不条理の前での敗北としての死ではない。人間の想像をはるかに越えた、偉大な意味がある死だったということでしょう。

その意味がどんなものかについて、人間はいろいろな想像を巡らせますが、まだ誰も実際のことは知りません。なぜなら、死んで復活を体験した人は、まだこの世界にいないからです。

イエスが復活したという事実。そのこと自体が神の答えであり、その答えは、わたしたちにはまだ十分に理解できない。ただ、死を越えた命への希望だけがはっきりと示されている。そういうことではないでしょうか。

 

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