中小企業の底力!「技術と義理人情」が日本を支える
2012年04月13日 公開 2024年12月16日 更新
仕事に命を懸け、素晴らしい技術を持つ日本の職人たち。こういった仕事人は今でも日本の中小企業に存在する。政策研究大学院大学教授の橋本久義氏は、中小企業こそが日本経済を支える存在だと指摘する。日本が誇るべき中小企業に宿る精神と、その底力を紹介する。
※本稿は『中小企業が滅びれば日本経済も滅びる』(PHP研究所)より抜粋・編集したものです。
義理人情が会社を再生させる
日本の中小企業は、人のために役立ちたいという気持ちが強い。むろん採算をとろうとはするのだが、ある時点からは採算すら無視する。職人の心意気の世界である。それは、景気が悪くなったときにいかんなく発揮される。
たとえば、埼玉県川口市に「田口型範」という会社がある。この会社は、鋳造用木型・金型の技術を60年培ってきた。
会社概要には、「最先端技術を駆使し、鋳造用木型・金型製作で60年間培ってきた技術と技能を、アナログで残すものとデジタルに置き換えるものとのバランスを取りながら、常に顧客の要望に100パーセント応えられる企業です。とりわけ試作用木型は、世の中で初めて『形』となって生まれたもので、まさにモノつくりの出発点です」とある。
たとえば、自動車をつくる時、最初につくられるのが木型モデルだ。最近はコンピュータで三次元イメージもつくられるが、最終的には実物大の木型をつくってチェックする(といっても材料は木とは限らず、プラスチック材料である場合も多いが …… )。
そして、車両・産業機械・航空機さらには宇宙開発関連の分野まで、この会社が製作した木型・金型からつくられた鋳造部品が使われているという。先代の田口貞一さんは高度成長期である昭和30年代・40年代、全国の木型業者をまとめて日本木型工業会を設立し、業界として、最新技術や労働安全の勉強会をリードするなど、業界の地位向上のために大変な努力をされた。「朴訥(ぼくとつ)」という言葉は田口貞一さんのためにある言葉ではないかと、私は思っていた。工業会メンバーも、ユーザーも田口貞一さんが、業界のためにどれほどの努力をしておられるかを知っていたから、田口さんが、訥々として語り出すと、説得力は抜群。みなが黙って従うというところがあった。
しかし、こうした優れた会社といえども、不況の波を免れることはできず、仕事が全然来なくなってしまった時期があった。鋳物の注文が減れば、木型も不要になるのが道理であって、仕事が絶対的になくなってしまったのである。
仕事がなくなって困ったが、最初のうちは工場周辺の草むしりをしたり、工場の清掃、道具の手入れ、ペンキ塗りなどをして何とかつないでいた。だが、そのうちに掃除をする場所もなくなってしまった。そこで考えたのが昔のお得意様を大切にしようという運動だ。「わが社でつくった製品であれば、30年前につくったものでも40年前に作ったものでも、きちんとメンテナンスします」というのである。
木型というのは、長く使っていると木が乾燥して割れることがある。その割れを修正して、間に充填材を詰めて、またきれいにみがいて……という仕事だった。
会社にしてみれば、仕事はなくても職人はいる、彼らを辞めさせるわけにはいかない。何でもいいから仕事はないかと考えた挙句の策だった。しかも、使う材料は充填剤くらいだからコストもかからない。こうしたきめの細かい心遣いをした結果、メンテナンスの注文が殺到し、職人たちの仕事をつくることができた。そして、じつは、そこに思わぬ効用があったのである。それは、納入先の会社に行ってみると、つくった側では思いつきもしなかったような工夫が施されているということだった。
木型を使っている現場は千差万別で、特に他の機械との取り合いの部分は、現場へ行かなければわからないような「なるほど、こうやってやればいいんだ」という発見ばかりであった。それはまさに、ノウハウを得る宝の山だったのである。
しかも、日本の会社は、「無料でやります」といわれたからといって、本当に無料でやらせる会社はほとんどない。義理堅く人情深い日本人は、一人前の職人である大の男が、朝から晩まで一生懸命、1円の稼ぎにもならない仕事をしているのを黙って見ていられないのである。
たとえメンテナンスは無料でやってもらうとしても、「この部品は、いつも××社に発注すると決まっているが、この会社でもできるらしいから、半分くらいこちらに頼んでやろうよ」「新しい木型を前倒しで注文しようか」などと考えてくれるわけだ。
そういう需要もあって、この会社は、数カ月のうちに猛烈に忙しくなった。当時、一般的には不況もいいところで、その状況が打開される見通しはなかったのに、ここだけが忙しくなったのである。
日本の中小企業は、こうした義理人情に助けられて、危機を乗り越え、元気を取り戻していくのである。