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あら川の桃、難波ネギ...無印良品があえて「伝統的農産物」に光を当てる理由

長田英知(良品計画執行役員)

2022年11月22日 公開

無印良品では、同社の理念である「感じ良い暮らしと社会」を実現するため、自治体や地域の方々とともに地域を活性化するための様々な取組を進めています。そのような活動の一つとして、今回は関西エリアにおける、地域に伝わる伝統的な農作物を活用した商品開発についてご紹介したいと思います。

 

コロナ禍をきっかけにはじまった地域商品開発

関西エリアで地域商品の開発が始まったのには、実はコロナ禍が大きく関係しています。すなわちコロナ禍において、患者のために日々献身的な活動をされている医療従事者を応援できないかと、「大阪難波葱普及委員会」の方々から相談を受けたことが、商品開発を行う契機だったのです。

ここで難波ネギという野菜を初めて聞かれた方のために、この伝統野菜の由来についてご紹介したいと思います。

難波ネギは全国のネギのルーツといわれる大阪の伝統野菜で、おおむね100年以上前から現在の難波地域で多く栽培されていました。明治18年に南海なんば駅ができた頃、駅の周りにはネギ畑が東京ドーム約10個分の広さで広がっていたといいます。

難波ネギは青ネギの一種なのですが、加熱するとフルーツトマトに匹敵するほどの濃厚な甘みが出るのが特徴です。一方、生産に手間がかかることと、ぬめりが強くて加工品としての利用にあまり適していないことから徐々に生産されなくなり、1970年代にはほぼ市場に流通しなくなっていました。

そして無印良品の担当者が最初に難波ネギと出会った2012年には、全国でわずか1畝分の生産量しかないほどの危機的な状況になっていました。

このとき、無印良品が運営するカフェレストランであるCafé&Meal MUJIの担当者は難波ネギの美味しさに感動し、それ以来、レストラン向けメニューを開発して提供するとともに、収穫のお手伝いを行うなど、この伝統野菜の生産維持・拡大を支援してきたという経緯がありました。

 

偶然が生み出したヒット商品

「大阪難波葱普及委員会」の依頼を受けた無印良品の担当者は、医療従事者が忙しいときでも手軽に栄養を取ることができる商品を目指して開発を始めます。

ちなみに無印良品で加工食品の商品開発を行う場合、協力工場とのディスカッションを通して様々なレシピ案を作り、実際に試食を繰り返す中で味を絞り込んでいくのが一般的です。

難波ネギの商品開発も当初、同様の形で行われていましたが、商品は結局のところ、そのプロセスから外れたところから偶然誕生することになります。

ある日、難波ネギの商品開発に関わる試食会が終わった後、もともとCafé&Meal MUJIのシェフだった無印良品の担当者が、余りものの食材を使って会議メンバーのためにまかない食を作ることになりました。

その担当者は店舗のレストランで難波ネギを使った料理を調理した経験があり、難波ネギはサッとしゃぶしゃぶにする食べ方、クタクタに煮るとまた違う美味しさがあることを知っていました。

そこで難波ネギとその日の試食で余った食材を全部入れて、アヒージョを作ることを思い立ちました。アヒージョができて皆が一口食べた瞬間、難波ネギの甘みと食感が引き立ったその味に皆が感動、全員一致でそのレシピを採用することになったのです。

このような偶然から完成した「難波ねぎアヒージョ」は、本当に売れるか、担当者も自信はなかったそうです。

しかしポスターを作って店頭PRを行ったり、産地での収穫体験を行ったりするなど、地道な宣伝販促活動が功を奏した結果、発売週の土日だけで500個が売れ、その後も順調に売れ行きを伸ばす人気商品となりました。

また無印良品が難波ネギを活用したレストランメニューや商品開発を行ってきたことが、難波ネギ栽培の復活に少しなりともつながっていることはとても嬉しいことです。

現在、難波ネギは無印良品だけでなく、料理店などでも需要が増えており、毎年数十トンが収穫されるようになっているとのことです。

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顧客の声を徹底的に聞き、商品開発に反映する

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