「エンタの神様に出るまで1年かかった」マシンガンズが明かす、ショートネタ番組ブームの舞台裏
2025年02月07日 公開
芸歴16年以上の漫才師が出場できるお笑い賞レース『THE SECOND~漫才トーナメント~』の初回大会で準優勝を果たしたマシンガンズ。『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』など、2007~08年頃に流行ったショートネタ番組にてブレイク。しかし、ブーム終了後は徐々に仕事が減っていき、15年ほどの低迷期がありました。
芸歴26年にして再び脚光を浴びる二人は、著書『もう諦めた でも辞めない』(日経BP)を刊行。"辞めなかったら何とかなった"芸人人生を赤裸々に語った一冊です。
そんなマシンガンズのお二人に、改めてお笑い芸人を目指した経緯や、ブレイク当時と現在のお笑い界の印象についてお聞きしました。
二人がお笑いを始めた理由
――本日はお時間を頂きありがとうございます。先日、お二人の芸人人生について書かれた書籍『もう諦めた、でも辞めない』を出版されたとのことで、ぜひお話しをうかがいたく取材にまいりました。
早速なのですが、お二人は1998年にコンビを結成されたそうですね。そもそもお笑い芸人を目指した理由は何だったのでしょうか?
【滝沢】母親がビートたけしさんのことが好きだったので、小さい頃からお笑いに興味があって。それから高校時代はダウンタウンさんを見てたり、大学生の頃は爆笑問題さんを見て、あんなんやれたらいいなと思っていました。
元は学校の先生になろうと思ってたんです。大学生の頃は先生になるための勉強をしていました。でも、やめて、お笑いの世界ですね。大学を卒業したら芸人をやると決めたんです。
【西堀】僕は学生の頃からみんなの前で漫才をやったりしてたんですよ。学園祭でも教室を借りてやったりして。だからなんか遊びの延長線というか。それでお笑い芸人を目指してるっていうと、進学も就職もしなくていいんですよね。だからちょっとやっていこうかなみたいな。なんで、グッてなった瞬間は特にないんですよ。
お笑いを始める前は、札幌で職人さんみたいなことをやってて。すごい寂しくて。自分一人で行く現場が多かったので。それで、職人の仕事は年齢を重ねたあとでもできるかなと思って、軽い気持ちで芸人のオーディションを受け始めたんですよね。
――今のお話しを聞いていると、お二人とも「絶対にお笑い芸人になるぞ」というのとも違うように思ったのですが...
【滝沢】いや、僕はお笑いへの熱はありましたね。教育実習に行くはずだったのを辞めてるんで。
【西堀】(笑みを浮かべながら)僕は何にも特に、全体通して真剣になっていないですよね。
ショートネタブーム期の温度感
――お二人の間に少し温度差があったということですね。コンビ結成してしばらくして、『爆笑レッドカーペット』をはじめとしたネタ番組ブームがありました。その当時のお笑い界の空気感はどのようなものだったのでしょうか。
【滝沢】テレビでまだブレイクしてない芸人たちがショートネタ番組にいっぱい出ていました。中には既にブレイクしてる人もいましたけど、「これから行くぞ」みたいな人がいっぱいいたので、やっぱり仲間意識はあったと思います。
お笑いライブの楽屋などでは、お互いに「レッドカーペットの収録に次いつ行く?」とか「俺ら呼ばれてないな」みたいな感じでショートネタ界隈の芸人で固まっていることが多かったですね。ショートネタの番組に出てる人、出てない人とくっきり分かれてたかもしんないです。
M-1の準決勝に2年連続行けたのも、その時期だったと思います。(2007年、2008年にM-1準決勝進出)
――マシンガンズさんはかの有名番組『エンタの神様』でご活躍されていらっしゃいました。プロデューサーの五味一男さんは弊社(PHP研究所)でも書籍を刊行させていただいたこともあります。当時はどんな雰囲気で番組作りがされていたのでしょうか?
【滝沢】五味さんは「うちではこれをやってくれ。やりたいことがあるなら他の番組でやってくれ」というスタンスだったので、やっぱりこだわりは強かったように思いますね。当時は番組ごとの方向性の違いがはっきりしていました。女性や子どもを対象にやっていたから、要はギャグが求められるし、他のコンビが言われているのを見ましたけど「0.1秒笑いを入れるのが遅い」とか、五味さんの哲学みたいなのを感じました。
【西堀】はっきりされてましたよ。「視聴者は食器を洗いながら番組を観る」みたいなことをおっしゃってました。ギャグだけ聞いて「あー、あの人ね」っていうのを目指されていたんだと思います。
【滝沢】だから僕らも番組に出るまで1年ぐらいかかりましたよ。
――当時のお笑いの現場はそういう厳しさみたいなのがあったと何となく想像していました。
【西堀】ギスギスしてましたね(笑)。 最近のM-1は、CMまたぐ時とかみんな明るいじゃないですか。あんなもん、なかったですよね。ダウンタウンイズムじゃないですかね。ヘラヘラしないっていう。あと、コンビ仲が悪い方がかっこいいという雰囲気もありましたね。それもダウンタウンさんとかとんねるずさんのイメージがあったからだと思います。
――あくまで外側からですが、今のお笑い界は皆さん和気あいあいと楽しくやられているようにも見えます。
【西堀】今はみんな友達みたいな感じですよね。芸人というのは楽しいです。それは結構、ずっと芸人を続けてこられた一因かもしれません。
芸人を辞めさせないための賞レース
――2024年のM-1は10330組がエントリーして、史上最多を更新しました。近年、漫才やお笑いそのものが流行っているようにも思うのですが、お二人から見ていかがですか?M-1に出場されていた20年ほど前と比べて、何か違いを感じたりするのでしょうか。
【滝沢】M-1が始まった頃と比べると、エントリー数は10倍近い数字になってますよね。ただ、1人で何回も出場しているケースもあるんじゃないですかね。いろんなコンビを組んで。
昔の芸人は早熟だったと言われますが、僕たちの場合は違うんです。同時期にデビューした芸人たちは『爆笑オンエアバトル』とかに出てたのに、僕たちはデビューから9年目で初めてテレビに出たんですよ。『爆笑ピンクカーペット』という番組で。だから周りと比べると本当に「劣等生」でしたね。
でも、今から考えると9年というのはまだ早い方ですよね。今は10年以上やっている若手も珍しくないですし。お笑い芸人の人口が増えている証拠かもしれません。
【西堀】NSC(吉本興業のお笑い養成所)には毎年新しい生徒が入ってきてるんですから、そりゃ人数は増え続けますよね。実は公表していないだけで、お笑い芸人を目指している人はたくさんいるんですよ。もしかしたら芸人を目指す人と道ですれ違っているかもしれませんよ。
【滝沢】でも、何を見てみんな芸人を目指すんですかね。
――やはりM-1がきっかけになるんでしょうか...
【西堀】でもM-1にエントリーした1万組が、15年くらい経つと大半が芸人を辞めてるんですよ。どんどん辞めますから。
【滝沢】そういえば太田プロに面接しにきた人にもいました、M-1に出たらすぐに辞めちゃうような人が。
【西堀】創設者の島田紳助さんもM-1は「辞めるきっかけを与える大会」だと言ってましたよね。
反対に、僕らが2023年に準優勝した『THE SECOND』は、芸歴16年以上の芸人を対象にしているので辞めさせないための大会ですよね(笑) うまくできてるんです。
【マシンガンズ】
西堀亮(にしほり・りょう)
1974年10月4日生まれ、北海道出身
滝沢秀一(たきざわ・しゅういち)
1976年9月14日生まれ、東京都出身
1998年にコンビを結成。10年目を迎える頃に『爆笑レッドカーペット』『エンタの神様』などの出演をきっかけにブレイク。2007年、2008年は2年連続で『M-1グランプリ』準決勝に進出した。2012年、2014年には『THE MANZAI』認定漫才師となる。滝沢は2012年にゴミ収集会社に就職。2018年の『このゴミは収集できません〜ゴミ清掃員が見たあり得ない光景~』など関連著書が多数あり、ゴミの専門家として数々のテレビ番組や講演会などで活躍。西堀は2020年に「身近なヒント発明展」で優良賞を獲得。考案した「靴丸洗い洗濯ネット」が2023年に商品化を果たす。2023年5月の『THE SECOND~漫才トーナメント~』で準優勝し、再び脚光を浴びた。太田プロダクション所属。