新1万円札の顔 なぜ渋沢栄一が注目されるのか?
2012年12月07日 公開 2022年11月16日 更新
『論語と算盤』はなぜ一致するものなのか
彼の代表的著作が『論語と算盤』である。「利潤と道徳を調和させる」という目的のために、経済人が志向すべき道を示した書だが、これを読めば、渋沢の性格や考え方が『論語』に影響されていることがよくわかる。
『論語』は、中国の春秋時代の孔子の言葉を集めたものだが、渋沢は武士道精神、特にその中核になっている『論語』の教えこそ、「日本ビジネス道」の基本としなくてはならないと考え、『論語と算盤』を著したのである。
それは「『論語』は道徳上の経典であるのに、算盤はまったく反対の貨殖の道具である。この二者は相いれないものと考えるだろうが、自分は久しい以前から『論語』と算盤は一致しなければならぬというのが持論だった」と語っていることでもわかるだろう。
政治やビジネスの世界で『論語』を愛読するリーダーは数多い。しかし、渋沢ほど『論語』を大切にした人はいない。そらんずるまで読み込み、身につけていった結果、『論語』は渋沢のあらゆる行動の原点になったのだ。
渋沢が官界からの誘いを断って経済界で生きることを決意したとき、友人からは「卑しむべき金に目がくらんだのか」と強い批判を受けた。これに対して彼は、「金銭を卑しんでいては国家は成り立たない。人間の勤むべき仕事はすべて尊いものだ。私はビジネスにおいて論語の教えを一生貫いてみせる」と反論したという。
まさに、その言葉通りで、彼の成功の源泉は『論語』の実践にあったといえるわけだ。
実業の世界に生きる人間は、ある面で「冷酷」と評される人物も多いが、渋沢は「仁」の人だった。
当時、日本を訪れて政財界の指導者たちと会った英国の雑誌記者は、「シブサワは貧しい人からも富裕な人からも、すべての人から敬愛され、彼をあしざまに言ったり、冷酷なやり方だと語るのを耳にすることはない。彼の名は日本の隅々まで知れわたっている」と渋沢の印象を書いている。
また、渋沢栄一の人生を見事に描き出したのが城山三郎の小説『雄気堂々』だが、城山は、「日本からアメリカへ大型の使節団が出されたとき、団長だった渋沢さんは、随員に対しても大統領に対しても、一個の人間として友人に対するようなふるまいで、その姿勢に日本の使節団一行は、大きな感銘を受けた」と語っている。
人が生きていくうえで最も大切なのは仁義道徳を守ること――渋沢は事あるたびに、そんな言葉を繰り返した。それは、人々の心から仁義道徳が失われつつあるという危惧によるものであり、現代にも当てはまるように思えて仕方がない。
社会や経済の既存の考え方やシステムが崩れかけている今日の社会は、まさに明治維新と同じ転換期といえるかもしれない。政治も経済も混乱し、リーダーたちは迷走している。
昨今、渋沢栄一について非常に関心が高まっているようだが、それは「日本資本主義の父」が何を語ったのかを知りたいという要求があるからだろう。流れの読めない時代だからこそ、渋沢の肉声に素直に耳を傾けることは、大きな教えになるのだ。
渋沢の言葉は、ビジネスの指針としてだけでなく、人生の指針としても大いに活きてくるはずである。