- PHPオンライン
- Moguru(本の話)
- 連載小説「NY襲撃」 第一章・過去を引きずる者たち【1】 高嶋哲夫
SP・明日香が次に護るのはNY!? 「襲撃」シリーズ第三弾。
第一章 過去を引きずる者たち
明日香(あすか)は土手を上った。
ワンボックスカーの所に行くと、黒いスーツの大柄な女性が降りてきて、後部に回った。彼女が現在ついている警護官だ。名前はたしか花田麻衣子(はなだまいこ)。
後部ハッチが開き車椅子が降りてくる。乗っているのは、ブルーのコートを着た白髪の女性。前総理の新崎百合子(しんざきゆりこ)だ。一昨年と去年、明日香は新崎の警護官だった。
「少し二人にしてくれる」
新崎が言うと、花田は無言で車の助手席に入って行った。
明日香は新崎に言われるまま、車椅子を押して土手を歩いた。
「身体はいかがですか」
「政治家にとって、頭さえしっかりしていれば問題ないと信じていたけど、完全に間違っていた。政治家は頭より、体力ね。新しい発見。現役時代は気付いてなかったけど」
「新崎総理、いえ新崎先生はどちらも人並み外れていました」
新崎は退任してから、明日香に総理、前総理と呼ぶことを禁じている。
「田舎に住んでると、口だけは達者になるのね。逆だと思ってたけど」
明日香はそれ以上言うのはやめにした。
「いいところね」
「日本は広いです。もっと東京以外、地方にも目を向けるべきです」
「世界はもっと広い。あなたには、そっちにも目を向けてほしい」
明日香は何と答えていいか分からなかった。今の生活は気に入っている。いや、気に入っていると思い込もうとしているのか。だが一年前は眠れなかった夜も、今では睡眠導入剤なしですごしている。
「ところで、そんな話をしに来たわけじゃないと思います。横田(よこた)さんの話でしたら、お断りします」
新崎のかすかなため息が聞こえた。
「今度、国連に招かれている。テロ関係の会議で基調演説をすることになっている」
「断わるべきです。危険すぎます」
思わず出た言葉だった。テロという言葉には過剰反応する。
「だからあなたに会いに来た。私と一緒に行ってほしい」
明日香は新崎の背後に目を向けた。
花田が立っている。しかしそれでは遠すぎる。何かの時に反応できない。対象者の盾にならなければならないのだ。
総理退職者には最低一人のSPが付くことになっている。しかし、日本では一般人に戻るとともに、SPを辞退する元総理も多い。外国では考えられないことだ。スーザンの父、チェス前大統領には三人のSPが付いている。国のシークレットサービスが二人と、個別に雇った一人だ。何かと世界と国内を騒がした大統領だった。スーザンにはゴルフ相手だと言っているらしいが、身の危険を感じているのだろう。
「大統領を辞めても命を狙われるような、アクドイことを色々やったのね」
スーザンは言うが、どの大統領も例外なく、国益の名のもとに一般道徳から外れたことをやっている。スケールが大きすぎて、表には出せないことだ。総理付きの警護官になって、ここ数年間の間に学んだことだ。
「海外となると女性のSPもいた方がいいということになった。花田麻衣子さんとは別にね。コレはお願いではなくて、辞令だと思ってちょうだい」
「命令ということですね」
新崎は答えず、静かな川面を見ている。
「あまりに危険すぎます。中止とまではいかなくても、もう少し後ではどうですか」
「アルフレッド大統領の強い願いなの。このチャンスを逃したら、もう声はかからない」
新崎はそう言うと、明日香を見ている。
「アルフレッド大統領は次の大統領選に出るんですね」
新崎は答えない。明日香はもう一度聞き直した。
「アルフレッド大統領は八十一歳です。就任時にも一期で後任に譲ると断言していました。本気で再選を目指しているんですか」
「大統領のイスはよほど座り心地がいいんでしょうね」
新崎が総理の時代にはまず聞くことのなかった言葉だ。
明日香が戸惑っていると、新崎の表情が変わった。
「権力というのは血と肉になるの。自分自身の身体の一部になるのよ。決して手放せない。手放すと自分が自分でなくなる。だから必死で守ろうとする」
「新崎先生もそうでしたか」
言葉にして後悔したが、新崎は何でもないという顔をしてる。
「私はそうなる前に政界を引退した。いえ、せざるを得なかった」
そう言うとわずかに首をかしげ、残された左腕を水平に上げた。
「私が今、何をしているか分かる」
「分かりません」
「万歳をしてるの。右手は見えないし、左手も肩から上には上がらない。左目でウインクをすると暗闇の中。私の二年三か月の総理就任の結果」
明日香は無言で頷いた。
「いつからですか」
「あなた、立川に住んでるんでしょ。立川署の裏手だと聞いている。そんなに遠くじゃない。一緒に永田町に来てちょうだい」
「今からですか」
「一緒にだからそうなるわね。でも、その恰好じゃね」
新崎は一度帰って着替えてくるように言った。
二年前、新崎百合子は、日本初の女性総理大臣に就任した。強い意志とリーダーシップを持ち、総理官邸がテロリストに占拠された危機も乗り越えている。その際、警護官として彼女を支えたのが夏目(なつめ)明日香だった。二人は幾度もの危機を共にし、深い信頼関係で結ばれていった。その時、新崎はテロの恐ろしさと残忍さを知った。以後、世界に向けてテロの撲滅に力を尽くしている。
一年前、新崎は日本主導でG7各国に呼びかけ、「テロ撲滅世界会議」を開催した。会議ではサプライズとして、中東のテログループ、ネクスト・イスラミック・ステイト、NISから脱出した親子がスピーカーとして招かれた。これを阻止しようと、NISのテロリストと日本の過激組織、赤色戦線の残党が東京で連続爆破事件を起こし、多くの死傷者が出る大惨事となった。さらに、会議に出席していたアメリカ大統領も標的となり、命を落としそうになった。大統領の命を救ったのが新崎だ。
その結果、新崎は右目の視力、右手、右足を失った。また、スピーカーとして招かれた親子のうち母親のマリナは命を落とし、残されたエリーゼが代わってスピーチを行った。彼女はその後アメリカに亡命し、FBIの保護プログラムのもと、里親のもとで暮らしている。
この会議を契機として、世界の政治テロは半減したものの、完全な根絶には至っていない。新崎は総理を辞任し、政界から引退した。現在は逗子に居を移し、少年兵の更生を目的とした施設「ワールド・セイフティ」の設立に尽力している。
昔、新崎から一本の映像を見せられたことがある。
砂混じりの風が、低いフェンスを鳴らしていた。北東シリアの収容施設は、もともと子どもたちの一時的な場所として造られたはずだったが、終わりの見えない滞留の場となっていた。粗い布で仕切られたテントに、行き場のない子どもたちが肩を寄せ合うように暮らしている。
五分ほどの映像だったが、新崎は涙を流していた。それを隠すために、わざと声高に世界の不条理を訴えた。
「子どもたちの多くは、戦闘そのものに関わったわけではない。だが、暴力と恐怖の中で育ち、極端な思想に触れてきた時間は短くない。言葉や行動の端々にその影が残ることもあるし、逆に、ほとんど何も語らない子もいる」
施設では、限られた資源の中で教育や心理ケアが試みられている。テントの一角に設けられた簡素な教室では、アルファベットや算数を教える声が風にかき消されそうになりながら続いている。別の区画では、支援員が子どもと向き合い、絵を描かせたり、静かに話を聞いたりしている。言葉にできない記憶を、少しずつ外へ出すための時間だ。
「だが現実は厳しい。食料や医療は不足し、警備も万全とは言えない。もちろん教師もね。施設の外に出れば社会は彼らを簡単には受け入れない。家族を失い、帰る場所そのものがない子も多い。家族を傷付け、殺した子どもさえいるんだからね。それでも、変化はある。最初は視線さえ合わせることが出来なかった子が、ふと笑う。名前を書けなかった子が、ゆっくりと文字をなぞる。そうした小さな変化が、この場所の唯一の希望」
そこは完全な救いの場ではない。だが、暴力と憎しみの連鎖を断ち切るための、ぎりぎりの境界線でもある。その内側で、子どもたちはまだ、自分の人生を取り戻そうとしている。新崎の働きで日本企業が施設の支援金を送る組織が作られた。それが「少年兵更生団体ワールド・セイフティ」の資金となっている。
こうした新崎の地道な積み上げが、「テロ撲滅世界会議」の開催、マリナ・エゾトワのスピーチにつながったのだろう。新崎はこうした施設の必要性を世界に訴えている。
2
車は総理官邸のロータリーに入って行った。
ドアの前には明日香の前上司である横田が立っていた。彼は警護課の課長だ。
明日香は車の横に立ち、辺りを見回した。一年ぶりの官邸だった。
バンの後部ドアが上がり、車椅子が出てくる。
明日香は車椅子を押して官邸に入った。その後にSPの麻衣子が続く。
「あとで俺の部屋に来てくれ」
横田が小声で言う。
「今でいいわよ。私は総理と会わなきゃならないから」
新崎が明日香と横田に向かって言う。身体と目が不自由になって、耳が良くなったと笑いながら言ったと聞いたことがある。
麻衣子が明日香に目配せをして車椅子の背後に来た。
明日香は横田について、官邸のSP控室に行った。懐かしさと共にある種の苦しさを覚える。いつも心の外に排除しようとしているモノだ。
「警護なんて技術以上に覚悟の問題だ。躊躇なく対象の弾避けになれるか」上司の高見沢の言葉だ。「ためらうな、躊躇(ちゅうちょ)するな」高見沢は繰り返した。
しかし今は、「躊躇なく銃の引き金が引けるか」と言う言葉が重くのしかかっている。明日香はそれに対する答えが怖かった。
「懐かしいか。立川の交番勤務が好きだと言っているそうだが」
明日香は答えられなかった。自分でも本音かどうかわからない。だがこの一年、銃に手をかけることはなかった。
横田はテーブルにファイルを置いた。目は見ろと言っている。
開くと写真と英文の書類が入っている。
「殺害予告だ。アメリカと日本に同時に来た」
「プリンセスのですか」
思わず出た言葉だ。プリンセスは新崎総理の符牒だ。現在の公式の立場は、新崎前総理で、エンカと呼ばれている。何かの折りには、演歌を歌い出すことから付いた。
「新崎前総理だ。本人は大騒ぎしなくてもいいというが、最善を尽くすべきだ」
横田は明日香を見ている。反応を観察しているのだ。
「信頼性は高いのですか」
「今までの総理にはなかったことだ。退任後、それもアメリカまで行って、狙われるってことは」
それだけ影響力が強かったということです。明日香はその言葉を呑み込んだ。
「失敗はできない。しかし初めての経験なのでデータはない、ということですね」
「まあ、そういうところだ。本人はお前が来てくれれば問題ないと言っている」
明日香の脳裏には様々な顔が浮かんでいる。去年の首都襲撃はアラブの過激派と、元赤色戦線の生き残りが中心だった。アケミという女性がまだ見つかっていない。
イスラム過激派に資金提供を打ち切った国も多い。新崎が狙われる理由には事欠かない。
「横田課長は行かれるんですか」
「現役総理の警護が優先される」
行かないということだ。新崎はすでに過去の人なのだ。
「私は渡米を中止すべきだと思います。まだ捜査一課の捜査は続いています。山仲明美や大塚浩二の遺体も見つかっていません。これだけ探しても特定できないとなると――」
明日香は言葉を止めた。逃亡した可能性もある。東京中が混乱していた。横田もその可能性は十分考慮しているはずだ。
「新崎先生はイスラム過激派からも敵と見なされています」
「おまえは本気で渡米を中止できると思っているのか」
「一応、言っただけです。アルフレッド大統領の意向と聞いています。新崎先生もテロ集団に弱みは見せないでしょう」
「情報は入っているんだな。ルートは色々あるだろうから」
明日香には池田が定期的に、警視庁の様子を知らせてきた。彼は捜査一課の若手刑事だ。捜査二課の富川も興味のありそうな情報をかってに知らせてくる。彼とは警察学校で同期だった。
「スーザンはどうしてる」
横田が思いついたように聞いてきた。必ず聞いてくると思っていた。かなり知りたいはずだ。
「月に何度か話しています。話すのは季節についてとお互いの現在の仕事、私は交番勤務についてだけです」
「新崎元総理の国連演説については」
「私は初めて聞きました。彼女は知っているはずですが、私を気遣って話には出さなかったのでしょう」
「アメリカ側の対応も分かれば聞いてみてほしい」
明日香は頷くしかなかった。スピーチについて聞くと当然、エリーゼの話も出てくる。
「出発はいつですか」
「来週だ。あまり時間がない。今夜、よく読んでおいてくれ」
横田はファイルを手渡した。「ニューヨーク国連スピーチ警備計画」のタイトルがついている。
「これから警視庁に戻る。一緒に来てくれ。新崎前総理の了解は取ってある」
明日香の返事を待たずに立ち上がり、歩き始めている。











