毛利元就「三本の矢」も折れるはず? 今村翔吾さん『戦国武将伝』が示す新解釈
2026年06月01日 公開
(写真撮影:SHIRO KOMATSU)
デビューして以来、刊行される作品が次々と話題となり、吉川英治文学新人賞をはじめとする数々の文学賞を受賞。30代にして直木賞作家となり、今まさに波に乗っている今村翔吾氏。メディアにも多数出演するなど、その活躍は小説だけに留まらない今村氏だが、原点にあるのは「大衆文学」だという。このたび、意欲作「戦国武将伝」が文庫化されるにあたり、歴史小説への思いを伺った。(取材・文:末國善己)
※本稿は、『文蔵』2026年4月号より、内容を抜粋・編集したものです。
歴史小説をショートショートに

──今村さんは、Netflixで「イクサガミ」が映像化されて話題を呼び、〈羽州ぼろ鳶組〉シリーズもアニメ化されました。作品の映像化が続いて、環境が変わりましたか。
【今村】変わりました。単純に言うと、今村翔吾原作の作品の空きを求める人が増えました(笑)。映像化の問い合わせがこれまでの5倍くらいに増えているので、そのうちの一つでも二つでも決まって欲しいですね。
直木賞受賞後に宮城谷昌光先生に、「直木賞はとるよりも看板を降ろす方が難しいですよ」というお言葉をいただきました。受賞後は"直木賞作家 今村翔吾"と呼ばれていましたが、映像化が続いたことで直木賞作家の看板が少し下ろせて、『イクサガミ』の今村翔吾と言われるようになりました。
ただ、これは看板の掛け替えに過ぎない。東野圭吾先生を誰も"直木賞作家 東野圭吾"とは呼んでいませんよね。これからも何度か看板を掛け替えないと、「ただの今村翔吾」になれないと分かり、宮城谷先生の言葉の重さを実感しています。

──『戦国武将伝 東日本編』、『戦国武将伝 西日本編』が文庫化されました。47都道府県から戦国武将一人ずつを選んでショートショート(掌編小説)集を作るというアイデアは、どのように思い付かれたのですか。
【今村】月刊「歴史街道」への連載だったので、一回の枚数が原稿用紙15枚くらいでした。それなら長編の連載より、一回ごとの読切がいいと考えました。僕は筒井康隆先生や星新一先生が好きなのですが、歴史小説にはショートショートがありませんでした。それで挑戦として、歴史小説のショートショートを書いてみようと思ったのが最初です。
──「戦国武将伝」というタイトルや、物語の最後に典拠にした史料を引用するところは、海音寺潮五郎『武将列伝』を思わせます。ただ『武将列伝』はフィクションを排した史伝ですが、今村さんは小説にしています。小説だからこそできることは何だとお考えですか。
【今村】小説だからできることは、読者の方が共感を覚えたり情緒に浸ってもらえることではないでしょうか。僕も海音寺先生の『悪人列伝』などの史伝は全部読んできましたが、こんな武将がいた、こんな人物がいたという知識を得る喜びが大きかったです。それに対して僕は、武将の一生は説明できないけれど、一部を切り取ることで、読者の方にその喜びを感じてもらえたらいいなと思って書きました。
──掌編を書く難しさはありましたか。
【今村】難しさしかなかったです(笑)。ただ、北方謙三先生に、たまに短い小説を書くと文章がよくなる、引き締まると聞かされていたので、いい機会だと思っていました。ショートショートはワンアイデアで勝負する必要があります。どの武将の、どのエピソードを引っ張ってくるのかという材料選びでほぼ9割が決まりますから、そこも難しかったです。
──北条氏政の汁かけ飯、毛利元就の三本の矢などよく知られたエピソードに捻りを加えるのと、あまり知られていないエピソードを掘り起こすのでは、どちらが大変でしたか。
【今村】やはり有名な方が難しかったですね。毛利や北条はよく知られているだけに、もう一歩踏み込んで物語に奥行きを作るとか、ちょっと戯れを入れるとかしなければならないので大変でした。
一方で、よく知られてないエピソードは、題材を見つけてしまえば誰も書いていないので料理はしやすかったです。僕の中で、よく知られていないものを巧く小説にできたと考えているのは、尼子経久の「謀聖の贄」と宇喜多直家の「宇喜多の双弾」ですね。

──連載の時は、次にどの県の武将にするか籖引きで決めていたと聞いたのですが、事前に史料の調査などができないので大変ではなかったですか。
【今村】最後は長野県で締めたかったので、この県だけは抜いてもらいました(笑)。大変でしたが、小中高で歴史小説、歴史の研究書、「歴史読本」などを読んできたので、今回ほどたくさん本を読んでいて良かったと思ったことはないですね。籤である県が決まれば、すぐにそこの出身の武将が何人か思い浮かびます。武将さえ決まれば、何個かエピソードが出てくる状態にはなっていました。ただ、今思えば「誰にもできないことをやっていたな」と感じています。
──各都道府県で取り上げる武将を選んだ基準と、武将を探すのが難しかった都道府県を教えてください。
【今村】僕がデビューした直前の頃から2020年くらいの間は、小説の世界ではマイナーな武将に注目が集まりました。僕は大衆小説家なので、メジャーな武将の方が歴史小説に親しんでもらえると考えています。自分の県の番になったら喜んでもらえる武将、全国的な知名度が高い武将を選びました。その中で最も難しかったのが栃木県の宇都宮国綱、その次が秋田県の矢島満安ですね。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑は出身地なら全員が愛知県なので、秀吉は大阪、家康は東京にするなど意図的に散らしたところもあります。
──武将のどのエピソードを取り上げるのかは、どのように決めたのですか。
【今村】有名な武将であればあるほどエピソードの数は多いので、信長であれば10個くらい思い付いたものを書いて、その中から小説にできそうなのはどれかといった形で選んでいました。
逆に、マイナーな武将はエピソードも少ないので、埼玉県の太田資正を主人公にした「武州を駆けろ」で犬の話を書いたように、最も有名な逸話を持ってくるようにしました。元就の三本の矢や、石田三成の三杯の茶など有名なものは、解釈を変えて読者に楽しんでもらえるようにしています。
──有名なエピソードの解釈を変えるのは、難易度が高いように思えますが。
【今村】誰もが知っているエピソードには胡散臭いものも多くて、そんなに巧くいくかなと自分は思ってしまうんです。毛利元就は三本の矢は折れないと言いますが、吉川元春なら折ってしまいそうじゃないですか(笑)。それで、どんどん矢の数を増やしていく話にしました。石田三成の「四杯目の茶」も、秀吉に四杯目が飲みたいといわれたらどうするのかを考えました。ツッコミを入れる遊び心で書いたので、難しいというより楽しかったです。
──全体を通して読んでみると、家康の「竹千代の値」が青春小説、父の氏康を氏政と兄弟たちが罠にかけようとする「汁かけ飯の戦い」がミステリー、里見義弘の「青に恋して」が恋愛小説になっているなど様々なジャンルがありました。これは、意図的にジャンルを変えようと思われたのですか。
【今村】それぞれがどれだけミステリーになっているか、どれだけ恋愛小説になっているかは分かりませんが、毎回、ひと工夫しようとは考えていました。「義元の影」はホラーのテイストがあり、「十五本の矢」や島津義弘の「怪しく陽気な者たちと」はコメディになっていると思います。
僕は放っておくと書くもの全部が"今村翔吾風"になってしまう。そこは変えるように意識しましたね。今村翔吾風が強い掌編は、武田信玄の「暮天の正将」や上杉謙信の「蒼天の代将」で、僕の中の王道です。
関西人ならではのこだわり

──今年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」が放映されていますが、東日本編から秀吉が顔を覗かせ、西日本編では「大阪府」で主人公になったのを始め、秀吉が登場する作品が増えています。秀吉をどのような人物ととらえられていますか。
【今村】僕は関西人なので、秀吉は好きか嫌いかで言えば、好きですね。秀吉は晩節を汚したといわれているので、大河ドラマもどのように描くか興味はあります。
日本史上でも珍しく出自不明から出世した秀吉という人間の上げ幅は、昭和的価値観かもしれませんが、ロマンを感じますね。令和的に言うなら、たった一人だった秀吉がチームを作って駆け上がった、それは相当なコミュニケーション能力がなければ達成できなかったはずです。その意味でも秀吉は異質です。
──残る三英傑の信長と家康では、どちらがお好きですか。
【今村】それは断然、信長です。なぜなら家康が苦手だから(笑)。言い方を変えると、一番憧れるのが信長で、一番親しみが持てるのが秀吉、一番実力があるのが家康ですね。家康は人物としては一番上だとは思いますが、豊臣贔屓を刷り込まれている関西人としては、家康は実力はあるが好きになれない(笑)。
──そこは大阪出身で豊臣贔屓だった司馬遼太郎の作家としての遺伝子を受け継いでいるのかもしれませんね。
【今村】僕は作家としては池波正太郎先生リスペクトなんですが、精神は司馬遼太郎先生なんです(笑)。最近、読者の方にも「家康嫌いでしょう」「千利休嫌いでしょう」とか言われるのですが、書き手によって違いがあっても、好き嫌いが出てもいいと思っています。小説は歴史上の人物の一面を切り取っているだけなので、僕は家康を憎らしいけど凄い奴と思っています。ほかの作家が違う家康を書いてもいいし、読者がどちらの家康を好きになってもいいと考えています。
──掌編で取り上げた武将の中に、長編にしてみたい人物はいましたか。
【今村】謙信と伊達政宗は書きたいです。政宗は、昨年お亡くなりになった上田秀人先生がお書きになっていますが、作品はそれほど多くありません。謙信の小説も意外と少なく、あってもひねってあるので、正面から書いてみたいです。
僕は家康が尊敬していた信玄も家康っぽくて苦手なので、どちらかと聞かれれば、やはり謙信です。マイナー武将のブームがあって王道が空いているというのがあるので、今後は僕も含め王道に挑戦する作家が増えてくると思います。まずは信長で、この時代に信長を書くという無謀に挑んでみたいです。
──小説に書く信長のイメージはできているのですか。
【今村】ある程度はできています。僕は45歳までに坂本龍馬を書くと言っているのですが、その前に信長ですね。僕はキャリアが長いと思われていますが、まだデビュー9年なんです。そう考えるとデビュー20年になった頃には、大物ばかりを書いて、司馬先生に挑めるようになればいいと思っています。
──有名な歴史上の人物や、大物作家が取り上げた人物を書くのはプレッシャーも大きいのではないですか。
【今村】歴史小説の王道的な人物を書くのにプレッシャーはありますが、これは諸先輩方も同じだったと思うんです。僕は西村寿行先生が「自分は大衆作家なので、この部数を割ったら作家を辞める」とおっしゃっていたのがかっこよくて、多くの方に楽しんでいただきたいという思いが強いです。
売れたいというよりも、読者に喜んでいただきたい、ワクワクしていただきたいという想いが強くなっていて、その期待を裏切れないというプレッシャーの方が大きいですね。
──最後に読者の方にメッセージがありましたらお願いします。
【今村】この本は、文庫になったときに真の価値が出ると思っていました。電車の一駅二駅で一編が読めるので、気軽に読み始めて、気軽に本を閉じて欲しいです。広島に行くときに広島の話を読むなどして楽しんでいただくのが、僕のお勧めです。










