体重300kgを超える知床のヒグマのオス成獣 時に400kgに達するものも見られる(写真:山中正実)
近年、住宅地や市街地にまで姿を現すクマが相次ぎ、「アーバンベア」が深刻な社会問題となっています。なぜ本来、人を避けるはずの野生のクマが、人間を怖がらなくなったのでしょうか。その背景には、クマの保護政策や人間活動の変化、さらには人間の食物を覚えた「餌付けグマ」の存在など、複数の要因が考えられます。
北海道大学大学院客員研究員の山中正実氏が、知床で現れた「新世代ベアーズ」から近年の市街地出没までをたどり、人慣れグマが生まれるメカニズムと、その危険性を解説します。
※本稿は、山﨑晃司・編著『クマに出遭ってしまったら? 』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
人を怖がらないクマ
人目を気にしない新世代型のヒグマと近づきすぎるカメラマンたち
人や人の活動、人家や自動車などに慣れてしまったクマはしばしば「人慣れグマ」と呼ばれます。かつてそのようなクマは日本ではめずらしかったのですが、1990年代後半から北海道斜里町内の知床国立公園の西側で、道路沿いや遊歩道など公園利用者が多い場所でも人目を気にせずに歩き回るヒグマが目立つようになり、社会的に知られるようになりました。
知床国立公園では1982年に国指定鳥獣保護区がほぼ園内全域に拡大したことをきっかけに、国立公園の西半分を占める斜里町の猟友会が「春グマ駆除」を自粛しはじめました。春グマ駆除とは、1966年に北海道庁が始めた制度で、被害発生の有無にかかわらず、もっともクマを捕獲しやすい残雪期に山に入って無制限にヒグマを捕獲するものでした。当時は国立公園内や鳥獣保護区でも普通に行なわれていたもので、効果は大きく、北海道各地でヒグマは数を減らしていきました。
春グマ駆除は東北や北陸の雪の多い地域でも行なわれていました。春季以外でも、国立公園や保護区でさえ、クマがいればすぐに捕殺するというのが当時は全国的に普通だったのです。しかし、1980年代に入ると環境保護の考え方がしだいに世間に広まり、国立公園などの保護区では「目撃したら駆除」という風潮は衰えていきました。知床では、知床財団の前身の組織である「自然トピアしれとこ管理財団」が1988年に発足し、追い払いなど殺さない対策を中心にすえるようになりました。そして、1990年には北海道全体でも春グマ駆除制度が廃止されました。
こうして知床では1980年代から特に国立公園内でヒグマを積極的に捕獲することが少なくなっていきました。それから十数年を経て、国立公園内で人目を気にしないヒグマが見られはじめたのです。十数年は野生のヒグマのほぼ1世代にあたる期間であり、人に追い回されていたクマたちから新しい世代へと入れ替わったと考えられます。これらのクマは「新世代ベアーズ」(写真)と呼ばれ、マスコミなどでも報道されるようになりました。
1990年代後半には同じような現象が、本州の尾瀬国立公園の尾瀬ヶ原、上信越高原国立公園の軽井沢、北海道の大雪山国立公園などでも見られるようになりました。いずれも無差別にクマを捕殺していた時代が終わって十数年を経て現れたできごとでした。
実は、このような現象は、北米などクマ類が生息する海外の国立公園では古くから知られていたことでした。保護されれば、人を怖がったり避けたりしなくなるのはクマに限らず野生動物に共通することです。豊富に生息する野生動物を観察できるのが海外の著名な国立公園では大きな魅力の一つです。保護制度が充実していくにつれ、国内の保護区でも同様の現象が見られはじめたのです。
典型的な新世代ベアーズは人の存在自体に慣れてしまったクマですが、人慣れグマにはもう一つの典型があります。人間の食物に味をしめて人や人里に近づく「餌付けグマ」とも呼ばれるクマです。このタイプの人慣れグマは、積極的に人に近づき、あるいは攻撃して食物を得ようとするので極めて危険です。北米の国立公園ではかつてクマへの餌付けが公然と行なわれていましたが、1970年代以降は餌付けや食物・生ゴミの不適切な管理が厳格に規制されるようになりました。
知床国立公園で見られはじめた新世代ベアーズは、人間の食物に関係なく単に人の存在に慣れたものでしたが、人間の食物に餌付いたクマの問題は国内でも各地で古くから知られていました。
【POINT】
▼人や人の活動に慣れてしまった人慣れグマが存在する。
▼餌付けグマは、攻撃して人間の食物を奪おうとするのでとても危険。
アーバンベアが社会問題に
2000年代に入ると本州でのツキノワグマの大量出没が報じられるようになり、集落やその周辺にたびたび出没することが問題になりはじめました。2010年の長野県松本市市街地や2012年の長野市のJR長野駅付近へのクマの侵入事件など、2010年代以降は人口の多い都市の市街地内でもクマが目撃されるようになります。
北海道では2010年代中頃から、札幌市街地近郊でのヒグマ出没が目立ちはじめ、2010年代末から2020年代初頭には札幌市、旭川市、帯広市などの市街地への侵入が見られるようになりました。中でも2021年6月の札幌市東区市街地への侵入と4人の負傷事故は全国的に大きな話題となりました。
ちょうどその頃、酪農学園大学教授の佐藤喜和氏が『アーバン・ベア となりのヒグマと向き合う』(東京大学出版会、2021)を出版しました。そして、2023年、2025年には東北・北海道を中心にクマの出没が激増し、全国規模で社会問題化したのです。人里に侵入するクマへの社会的な注目はますます高まり、「アーバンベア」という言葉は2023年の第40回「『現代用語の基礎知識』選ユーキャン新語・流行語大賞」にて、トップ10入りするに至りました。
2000年代以降のクマの人里への出没は、集落や都市周辺も含む個体数の増加や、里山での人間活動の減少、積極的な捕獲をあまりしなくなったことによる新世代型のクマの増加に加え、人間の食物を覚えて執着する「餌付けグマ」の問題が複雑に絡み合って作用したものと推察されます。
【POINT】
▼人の生活圏に出没するクマが増えている。
▼長野市や札幌市など人口の多い市街地でもクマが目撃されている。
[執筆者]
山中正実(やまなか・まさみ)
北海道大学大学院獣医学研究院野生動物学教室 客員研究員
1959年生まれ。山口県周南市出身。北海道大学でヒグマ研究グループに所属し、知床をはじめ北海道内各地でヒグマや海獣類の生態調査を行なう。1987年以来、知床の自然環境の保全管理にあたる知床財団の設立から関わり、統括研究員・事務局長として同財団の中枢を担った。また、知床世界自然遺産の登録にいたる活動を主導した。2012年から2018年には、知床博物館館長としても勤務。博士(人間科学)。
[編者]
山﨑晃司(やまざき・こうじ)
茨城県自然博物館館長 東京農業大学名誉教授
1961年東京都調布市出身。 森林動物生態学が専門。東京農工大学連合大学院博士(農学)。ザンビア国立公園局野生動物調査官、東京都高尾自然科学博物館学芸員、茨城県自然博物館首席学芸員、東京農業大学地域環境科学部教授を経て、茨城県自然博物館館長。元日本クマネットワーク代表、元International Association for Bear Research and Management 理事、IUCNクマ専門家委員会委員、東京都自然環境保全審議会鳥獣部会長、千葉県環境審議会鳥獣部会長、環境省鳥獣保護管理プランナーなどを務める。著書に『日本のクマ』(東京大学出版会・共編著)、『ツキノワグマ すぐそこにいる野生動物』(東京大学出版会)、『ムーン・ベアも月を見ている』(フライの雑誌社)、『クマとともに』(東京大学出版会・共著)など。









