イラスト・帆
若くしてツキノワグマの生態を解き明かす新発見を重ね、今や日本を代表するクマ研究者となった東京農工大教授・小池伸介氏。その原点は山梨県の山岳地帯で道なき道をさまよい歩いたクマのウンコ拾いの日々だった。
順風満帆のウンコ拾いで卒論に突入した若者を襲う教授の学者魂! 提出3ヶ月前のテーマ変更という絶体絶命の危機に追い討ちをかける就職氷河期の洗礼......。迫りくる新卒無職の危機に小池氏が選んだ道とは!?
※本稿は、小池伸介著「ある日、森の中でクマさんのウンコに出会ったら」(辰巳出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
シカのウンコとの決定的な違い
ウンコ集めと糞分析が終わり、あとは卒論にまとめるだけ。そうすればめでたく卒業である。当時私は大学院に進んで研究者になろうなどという気は毛頭なかった。無難に卒論を提出して、高校教師になりたかった。だからほどほどに卒論を書いて卒業することしか頭になかった。
クマの糞分析の先行研究では2年間で193個ウンコを拾っていた。私は1年半で291個拾った。記録更新である。もう十分だろう。俺の卒論終わったな!
しかし世の中はそんなに甘くなかったのである。
不幸は、卒論の進捗をゼミで発表しているとき、古林先生に、
「クマのエサの中で夏はヤマザクラを〇個食べていて、秋はドングリが〇%ぐらいを占めていましたね」
そう報告したところから始まった。報告を聞いた先生からは、
「なんでヤマザクラだけ食べた個数がわかるわけ?」と鋭い質問が飛んだ。
古林先生の研究対象はシカで、シカは食べ物を胃の中で反芻する。だからほとんどの食べ物が細かく嚙み砕かれてしまって、「この木の実を〇個食べた」というのがわからないのだ。
あとで知ったが、シカなどの植物食動物の糞分析は、クマの比にならないほど細かく、植物の破片を顕微鏡で調べて気孔の形の違いなどから食物を特定したりする。
何も知らなかった私は平然とありのままを答えた。そんなの、ヤマザクラの実の中にタネが1個入っているから、タネの個数を数えれば何個食べたかなんてすぐわかる。嚙み砕かれていたとしても、破片からタネの個数が推定できる、と。
古林先生の瞳がキラーンと光を放った。
「ちょっと待った。クマの糞にはタネがそのまま入っているんだね?」
「ええ、そうですね」
この何気ない私の回答がどうやら先生の研究者魂に火を付けてしまったらしい。
私を蚊帳の外に置いて議論が盛り上がる
「もしかしたら、クマは木の実を食べることで植物の種子を運んでいるんじゃないのか」
「確かに......そういうことになりますね」
「いや~、面白いよこれは! そこをもっと調べてみたらきっと面白い研究になる」
「鳥だけではなく、クマによっても植物のタネが遠くまで運ばれるかもしれないということですよね」
「これ糞分析じゃなくて、シュシサンプという切り口で卒論を書いてみたらいいんじゃないのかな」
古林先生、大興奮。真面目な学生たちも加わって何やらめちゃくちゃ議論が盛り上がっているじゃないか。しかし、何なんだよ、「シュシサンプ」って。そんな言葉知らねえよ。なんかの呪文か? と、私は思った。