平岡 拓(ひらおか たく)ソフトバンク株式会社 satto事業開発本部 本部長
多くの私立大学が定員割れに苦しむなか、忘れてはならないのは「学生が第一」という点だ。大学の成功を表す指標の一つは、在校生の成長と、卒業生の活躍である。立命館大学出身のソフトバンク史上最年少の本部長に、自らの生い立ちと学び、就職の経緯、目指す世界像を聞いた。
※本稿は、西山昭彦著『立命館の快進撃』(PHP研究所)を一部抜粋・編集したものです。
立命館一家
平岡さんは、大企業のソフトバンクに中途入社し、26歳でいきなり本部長に就いた。これは同社で史上初で、大企業ではきわめて稀なケースだ。下に部長、課長などが続く。投資額は巨大で、責任範囲はあまりにも広い。
しかし、本人に気負いはない。日本のAIを伸ばすために、日々情熱を傾けている。AI活用の将来、つまりこれからの日本における産業の盛衰の一端が彼の肩にかかっている、といっても過言ではない。
平岡家は経営者の父のもと、男4人兄弟で、全員が立命館の附属中・高・大に通うというギネス並みの立命館一家だ。
「長男と3男の私が立命館宇治高校の出身で、次男と4男が立命館高校。全員が立命館大学に入りました。皆、理系の科目が好きで、一番上の兄は理工学部数学科、次男は情報理工学部、私は理工学部の電気電子工学科、末っ子は食マネジメント学部です。
中学時代は、斜に構えた反抗的な生徒だったと思います。特徴的なエピソードでいうと、宿題を提出しない。数学の問題が『解けるとわかっているのに、なぜわざわざ解かないといけないんですか』といいつづける。試験はあえて一夜漬けで臨み、授業中は、友達とNumer0n(ヌメロン)という数字当てゲームで戦っていました」
この頃から天才肌で、とんがっていた少年だったのだろう。そして、理系の道を歩み出す。
「私の特徴は第一に、面倒くさがり。だから無駄なことはしたくない。でも、大人に怒られるのは怖い。両者のバランスをずっと探ってきた人生だと思います。その意味では、内部進学なら受験をしなくて済む。成績も悪くなかったので学科も選べて、理工系の学問が好きだから理工学部の電気電子工学科かな、と。
事前の学部案内で、ナノバイオエレクトロニクス研究室を見学させてもらいました。電子回路で血液などに含まれる化学物質を検出し、身体の状態を診てIoT(モノのインターネット)で健康情報を送るという研究をしていて、面白いと思いました」
【大学時代】フィンランド教育の塾で見せた教育者としての一面
「ところが、大学時代は学業を単位を取るだけの最低限にとどめ、課外活動が9割。次男が通っていた京都のソーシャルベンチャーが運営する個別指導塾に誘われて、手伝いをしていました。
フィンランドの教育を行う地域に根差した個別指導塾のベンチャーで、コンセプトは『学んだ先が見える塾』。子どもたちに『社会人は大変だけれど、やっぱり面白い』ということが伝わるコミュニティづくりに参加していました。
生徒が5教科を学習する隣で大学生がプロジェクトを進め、社会人が真剣に怒られている、アゴラ(公共広場)的な場所です。
私も先生として入らせてもらい、多くの子どもと接しました。受験がしたいという子もいれば、不登校のわが子に勉強の面白さを教えてあげてほしい、という親御さんもいて、それぞれカスタマイズした授業を行っていました」
【スタートアップに就職】新卒でグローバルマネジメントへ
「当時『副業で稼ごう』というのが流行で、FIRE(経済的自立と早期退職)がいわれ始めた時期です。自分はどうするか、FX(外国為替証拠金取引)から動画編集、ブロガー、ウェブ制作、プログラミングまでいろいろ調べて〇×式の星取り表を書きました。自分は20代のうちに5億円が欲しい、どの分野なら可能かを検証した結果、すべて無理だとわかった。
そのとき、ちょうどノーコード(プログラミング言語でソースコードを記述せずシステムやサービスをつくれる)という新しい技術が登場し始めたんです。『これだ』と思って飛び込んだのが、ノーコードとの出会いです。
実地で学ぼうと思い、10社ほどに『無給でいいから仕事をさせてください』とDMを送ったら、ある企業から『明日から来ていいよ』といわれました。安いホステルのようなところを借りて2カ月のあいだ毎日、ノーコード開発をしました。そこがそのまま1社目の就職先になります」
この会社で、桁違いの活躍をすることになる。
「新規事業を立ち上げました。ノーコードのスクール事業とプラットフォーム事業の2つで、スクールは1期目から単月黒字を達成。私の仕事だけで粗利率80%を超え、利益が数千万円になっていました。それが新卒1年目のことで、私の入社直後の月収は30万円ほど。
スクール事業がうまくいったのでその後、毎月10万円ほど増えて、3カ月後ぐらいには50万円ほどになっていました。ただ、スクール事業ではるかに多い額を稼いでいたので、不満はありましたね。
その後、さらにウズベキスタン人の大学生とロシア人のエンジニアを雇って新事業を立ち上げました。ウズベキスタン人の大学生に学内コミュニティをつくって皆で開発を手伝ってほしい、と。すぐに仲間を集めてくれて、彼らをマネージしました」
仕事のコミュニケーションは英語でやっていたそうで、会話力はどうだったのだろう。
「わりと苦労しましたね。中学校の最後に3カ月、オーストラリアへ交換留学に行ったおかげで、日常会話は問題なかった。『英語ができるようになって帰ってきます』と宣言し、必死に勉強しました。
でも、ウズベキスタンとロシアでは英語の発音自体が違いますし、業務上、専門用語が多い。しかも時差があるので、日中に日本人の顧客に対応したあと、夕方6時からウズベキスタン人とロシア人のミーティングが入り、夜中はひたすら作業。在職2年間で、終電より早く帰れたのはクリスマスの日だけでした」
孫正義氏へのプレゼンテーション
その後、自らの会社を立ち上げたのち、孫正義さん(ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役 会長兼社長執行役員)との運命の出会いが起こる。
「私は当時、『生成AIを使ってどうやって仕事をサボるか』という知見を溜めていました。
前述したベンチャーのような過酷な環境下でこう生き抜いたとか、お客さんの業務を楽にできたとか。その情報をアウトプットするかたちで、『議事録なんてもうつくらなくていいですよ』『お店の予約も生成AIでできます』『会社の問い合わせへの返信なんてAIを使えばすぐ終わりますよ』という発信をしていたんです。それが孫さんの目に留まり、招集が掛かりました。
そこでソフトバンク本社へ単身突撃し、自分が考える事業とビジョンについて、孫さんの前で1時間ほどプレゼンテーションをしました。結果的に認められ、その場で入社を迫られましたが、そのときは自分がつくった会社があるのでお断りしました」
孫さんの印象については、
「会う前と後で一変しました。『孫さんはピッチ(プレゼンテーションより短時間でアイデアやプランを伝えること)がつまらなければすぐに打ち切る』と聞いたことがあり、怖い人だと思っていたんです。
私の事業提案は、思い返すといくらでも突っ込みどころがありました。話の9割はしょうもない内容だったと思います。でも孫さんは、1割の面白さを見つけてくれた。よい面を見出して『こうやればいいんじゃない』とアドバイスしてくれる、ポジティブコミュニケーターだったんです」
そして2024年3月、26歳で入社。すると、いきなり本部長になった。他の本部長は皆、かなり年上だ。いうまでもなく、普通の会社には課長→部長→統括部長→本部長という階段がある。
課長に上がるのが30代ほどで、部長に上がるのが40代ほど。その先に統括部長がいる。それらすべてを通り越しての本部長就任である。
satto―ホワイトカラーに生産性革命を起こす
責任者を務めるsattoについては、
「sattoは、誰もが生成AIの便利さを享受できる世界を目指す生成AIエージェントです。最終的な目標は、ホワイトカラーに生産性革命を起こすこと。
生成AIを使いこなせば、理論上は誰がどのぐらい重要な業務をしているか、生産性と利益を上げているか、プロダクティビティを定量化・可視化できます。その可視化ができたら、成果を上げている社員により正確に報いることができる。かつ成果を上げられていない社員を補助し、優秀な社員に育てることができる。結果として日本全体のホワイトカラーの生産性を底上げすることができる。sattoは新規事業であると同時に、壮大な社会実験でもあります。
私の個人的なビジョンは、情報革命でみんなの心に余白をつくること。GDP(国内総生産)の最大化といった話にはあまり興味がなく、ウェルビーイングの最大化に興味があります。
AI技術を敵視する向きもありますが、テクノロジー自体には悪意も善意もない。思い返せば産業革命後、19世紀に職を失った繊維労働者たちが大暴動を起こすラッダイト(機械打ち壊し)運動がありました。既存の職に取って代わる技術への態度は時と場合によって違いますが、結局のところ当時の政府や軍、そして国民が求める方向性に傾いてきたと思うんです。
テクノロジーを社会実装する技術と権限を持った人々が、どちち側にレバーを倒すのか。少なくとも私にとって、テクノロジーのせいで皆の仕事がなくなりました、というのは実現したい世界ではありません。技術のおかげで自分の人生に余白ができ、楽しくなった、という方向性に向かいたい。
面倒な仕事はAIに任せ、余暇や子どもと過ごす時間が増えるとか、過重労働から解放されて健康寿命が延びるとか、ウェルビーイングを上げるためにテクノロジーを社会実装したいと考える人間です。
sattoを活用してサッと仕事を終わらせて早く帰るもよし、AIで多くのタスクをこなして手取りを増やすもよし、本人のプロダクティビティを上げたうえで、それぞれが求めるリターンが設計されたプロダクトにしたい、というのが今考えていることです」








