「自分が頑張らないと、すべてが壊れてしまうかもしれない」そんな強い責任感のもとで、ずっと走り続けてきたあなたへ。大きなショックや悲しみを抱えたままでも、人は少しずつ「今できること」を選び直していくことができます。すべてをひとりで抱え込まず、誰かに頼る優しさを自分自身に与えてみませんか。
※本稿は、原田祐紀著『自分らしく生きるための 心を整える習慣 ざわつきをしずめるやさしい仏教の教え』(KADOKAWA)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
悲しい出来事が起きたあとの歩み方
悲しい出来事が起きたあとには、すぐに歩き出せなかったり、時間を重ねるなかで新しい歩みが見えてきたりすることがあります。
起きたことは変えられません。それでも、出来事の見え方が少しずつ変わっていくこともあります。
同じ出来事であっても、その受け止め方や、立ち直るまでに必要な時間は、人それぞれです。
たとえば病気が見つかったとき、「なぜ私が」という不安や怒りを抱えるのは自然なことです。
その気持ちが消えないままでも、少し落ち着いたときに、今できることへ目を向けられることがあります。
交通事故に遭った後のショックがやわらぐまでには、長い時間がかかることもあります。
そのなかで、いつか「命が助かった」と思える日が来るかもしれません。
ミスをしたとき、「もう終わりだ」と落ち込むことがあるでしょう。
けれど、「次に生かそう」と受け取ることもできます。
大切なのは、前向きに受け取ることではなく、自分の気持ちを置き去りにせず、今できることを探していくことです。
すべてをあなたひとりで背負わなくていい
「私がいないと回らない」という思いは、責任感や誠意のあらわれでもあります。
しかし、思いが強くなりすぎると、自分を追い詰めてしまうことがあります。
大切なのは、すべてをあなたひとりで背負う必要はないと知ることです。
「自分が頑張らないと職場が回らない」。そう思って、ここまで踏ん張ってきた人もいるでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。もしあなたが休まざるを得なくなっても、多くの場合、周囲が役割を引き受け、歩みは続いていきます。
「自分がやらなければ」という思いの奥には、責任感があります。しかし同時に、周囲に任せる機会を失い、結果として、あなた自身の心と体を削ってしまうこともあります。
仏教の教えに照らせば、「私がいなければ回らない」という思いの奥には、我や執着が隠れていることがあります。思いが強くなりすぎると、仲間に任せる余裕がなくなっていきます。
私もかつて教員だった頃、この思いにとらわれて働き続け、過労で緊急入院したことがあります。2週間後に戻ってみると、学校は変わらず動いていました。
「自分が支えなければ」と背負いすぎているなら、少し肩の力を抜いてみてください。すべてをひとりで背負わなくていいのです。








