住友銀行頭取・堀田庄三と松下幸之助
2017年11月15日 公開 2022年08月18日 更新
住友銀行とさくら銀行が合併して誕生した三井住友銀行。統合後、経営の舵を取ってきた奥氏は、長い歴史を持つ住友・三井それぞれの伝統精神と経営理念を受け継ぎながらも、激変する現代の経済・社会情勢に対応するために、どのように新しい企業文化を創造してきたのか。そして、現在の混迷する世界経済の潮流をどう見ているのか。今回の対談では、経営における理念の重要性から世界情勢の見通しまで、幅広い議論が展開された。
※本記事は、マネジメント誌「衆知」9-10月号掲載《松下正幸の「志」対談》より一部を抜粋編集したものです。
取材・構成:坂田博史
写真撮影:永井 浩
住友銀行と幸之助の深い信頼関係
松下 三井住友銀行とパナソニックとの取引が始まったのは、松下電気器具製作所だった頃の昭和2(1927)年です。当時はまだ規模の小さな会社でしたが、そんな会社と取引を開始したのはなぜだとお考えですか。
奥 私たちも上司や先輩たちから「空気で会社がわかる」と教えられました。会社の雰囲気や従業員の振る舞い、材料の置き方一つでも会社の良し悪しはわかるものです。しかし、なんといっても人物が第一。社長である松下幸之助さんという人物の人となり、考え方、そして、それらが社内に行き渡っているか。それが伝わってきたからこそ、お取引を始めさせていただいたのではないでしょうか。
松下 住友銀行歴代の頭取の中でも、頭取を19年間(1952~1971年)務められた堀田庄三氏と幸之助は、長い間、親しい関係であったと聞いています。お互いに認め合い、尊敬し合う間柄になれたのは、どうしてなのか。お考えになるところがあれば、お聞かせください。
奥 当事者ではないのでくわしくはわかりませんが、戦後、幸之助さんはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策で財閥家族などの指定を受け、活動の自由を奪われました。堀田側の文献によれば、当時、幸之助さんは「何もやる気がしない」と言っておられたようです。銀行も財閥解体の渦中で、お互いに落ち込む中、二人はともに語り合い、励まし合っていたのではないかと推察します。
また、幸之助さんは昭和27(1952)年に、オランダのフィリップス社と提携を成立させましたが、その二年後に、堀田もフィリップス社を訪れています。この時、堀田はフィリップス社のジェネラルマネジャーから「提携しても実際に着手しない人が多い中、松下さんはいち早く工場を建てて着手した」と言われ、「問題はファイナンス(資金調達)だと思うが、君のところはどこまで面倒をみる気があるのか」と問われます。堀田は、「松下幸之助さんは信頼すべき人物だから、ファイナンスの面倒は必ずみる」と答えたそうです。
幸之助さんがフィリップス社から信頼されているのを確認した堀田は、自分も幸之助さんを信頼していることを伝え、相手を安心させました。このエピソードからも、幸之助さんと堀田が肝胆相照らす仲だったことが伝わってくるように思います。
松下 奥さんは、松下幸之助の人物像をどのようにとらえておられますか。
奥 大阪本店の私の執務室には、『松下幸之助発言集』(PHP研究所刊)が置いてあります。まだ全部は読めていないのですが(笑)。
私がこれまで読んだ著書からは、現場を観察する力にとても優れた人だという印象を持っています。自分の頭で考え、自分の言葉で表現できる方だったのでしょうね。代表的な著作である『道をひらく』(PHP研究所刊)を拝読すると、短い文章の中に、常人ではちょっと気づかない観点がたくさんあります。感性も豊かで、心温かいけれども、冷静に物事を観察している人だったのではないでしょうか。
松下 幸之助と直接、接したご経験はありますか。
奥 残念ながらありません。堀田にしても、私が入行した時に頭取でしたので、直接会って話したことはなく、入行式で訓示を聞いた時を含めて数回、遠くから見た程度です。
松下 幸之助が観察力に優れた人だというご指摘は、全くその通りだと思います。物事をじっくり見て、それを自分の頭で考えて一つのかたちにして、その考え方で正しいかどうかをまた確認するという作業を、常に繰り返す人でした。
奥 幸之助さんの著作にある「日に新た」という考え方にも影響を受けました。私はこれまで、正式な場で「改革」という言葉を使わないようにしてきました。それは、改革、改革と言われ続け、現場が「改革疲れ」を起こしていると感じたからです。そこで、改革ではなくて、「日に新た」の精神で、少しずつでも向上、改善を目指そうと訴えてきたのです。
奥正之(三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問)
おく・まさゆき。1944年生まれ。1968年京都大学法学部卒。同年、住友銀行入行。国際部門、企画部門の部長を歴任。2005年三井住友銀行頭取(~2011年)、三井住友フィナンシャルグループ会長。2017年名誉顧問。2度の全国銀行協会会長のほか、日本経済団体連合会副会長も務めた。
松下正幸(パナソニック副会長、PHP研究所会長)
まつした・まさゆき。1945年生まれ。1968年慶應義塾大学経済学部卒。1968年松下電器産業入社後、海外留学。1996年に同社副社長就任。2000年から副会長。関西経済連合会の副会長を務める一方で、サッカーJリーグのガンバ大阪の取締役(非常勤)を務めるなど、文化・教育・スポーツの分野にも貢献する。